261 裏切り

 突然の乱入者に混乱する人々の声を聞きながら、フィオは布にくるまった荷が動くのを見た。まさかと思い目を凝らす。風なんかではなく、明らかになにかが布を押し上げている。

 子どもほどの大きさだと思って、慌てて駆け寄ろうとするとチェイスが阻んだ。


「やめろ。いくら嫁でも危険だ」

「あなたはあれがなにか知ってるの」


 確信を持って言えば、チェイスは押し黙った。フィオは彼の腕を払って布に近づく。

 一枚めくってすぐ、赤黒く濡れた布が現れた。血だ。フィオは早まる呼吸に急かされ、一気に布を取り去る。


「あ、あ……なんてこと……!」


 現れたのは、まだ体の小さな竜鰭科ドラゴンだった。流線形の体に深い青の模様が走り、扇状にギザギザに分かれたひれが、左右三つずつ生えている。

 海上宿船〈バレイアファミリア〉でも目撃したブレ・プテリギオだ。

 しかしその姿は、夜空を巧みに泳いでいた姿からはほど遠い。六つのひれすべてには、返しのついた針が刺さっている。刃物で傷つけられたのか四肢は裂かれて血が滴り、点在する深い傷からはまだ体液が噴き出していた。


「……この子を使って、ドラゴンを誘き寄せるつもりだったんだね」


 ブレ・プテリギオを見つめたまま問うと、チェイスは深く息をついた。


「そうだ。だが、海の民が裏切った。やつらは俺たち三部族を一網打尽にしようと、合図を待たずにこいつを送り込んできたんだ」


 砂を掻く音にフィオは振り返る。するとチェイスはひざをつき、赤土を握り締めて項垂れていた。地面を叩きつけた拳で、自身の額をわし掴みにする。


「合図さえ出さなければ、止められるはずだった。まだ間に合うはずだった……! なのにっ、くそ!」

「なに言ってるの。まだ止められる。人間とドラゴンはまだぶつかってない!」


 首裏の襟を掴み、フィオは顔を上げさせる。目が合うとチェイスは小さく笑い、首を横に振った。


「終わりだよ、嫁。俺たちは賭けに負けたんだ」

「そんなことない! 私が止めてみせる! おチビ、グミ草家から持ってきて!」


 すぐさま飛び立った小竜を見つつ、フィオは袖を裂いて長い布を作る。ぐったりしたブレ・プテリギオの体勢を整え、呼吸がしやすいよう荷車の破片で頭を支えた。


「な、にする気だ、嫁」

「この子を治療して、ドラゴンの群に返す。まずは群の怒りを鎮めないと!」

「無茶だそんなこと! 踏み潰されて終わりだ……!」

「チェイスは時間稼ぎして! シッポ草を焼くの! 生の煙はドラゴンが嫌がる! それに竜鰭科は炎が苦手だろうから」


 震えるチェイスの頬を、フィオは両手で包んで引き寄せた。

 こうなってしまえばもう、彼は長として逃げるか戦うか選ばなければならない。しかしフィオが提示するのは、耐えることだ。それは最も危険で全滅の恐れすらある。

 フィオはすべてを覚悟して、チェイスの目を覗き込んだ。


「私が村も未来も守る! 守ってみせるから、チェイスは夢を諦めないで!」

「なん、で。なんで嫁は、そこまで」

「あなたの夢の果てに、私の夢もつづいているの。そうやってあなたの夢は、いつかの誰かの力になる! 今は少なくても、世界中の人の希望になっていくんだ! だからチェイス、立ち止まらないで。みんなのために!」


 チェイスの手が、フィオの後頭部を引き寄せる。あたたかい唇が額に触れた。肌を重ねたまま、決意の灯が宿る互いの目を見つめ合う。

 言葉はいらなかった。チェイスの瞳の中にはフィオがいて、フィオの瞳にはきっと彼が映っている。パヴリン・テイルが、小竜が、シャルルがそうだったように、確かな絆がそこにあった。


「これを持っていって。最後の一個、役に立つかも」


 革袋に残った最後の鎮静香をチェイスに託す。彼は革袋ごとフィオの手をぎゅうと握り、にかりと笑ってみせた。

 腰帯に括りつけて、チェイスは立ち上がる。指示を待つ岩の民たちに向けて、声を張った。しかしそれは動揺する他部族の声に掻き消されて響かない。


「黙らせてあげて」

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