260 揺れる部族③

「む、無責任なことを……! 貴様は問題から目を背け、子どもたちに丸投げしたいだけだ!」


 そうだろ、と同意を求めるように山の族長は民を見回す。しかし応える者はいない。いや、闘技場コロセウムに集まった者たちは、チェイスを見ていて気づいていなかった。

 夢物語に子どもという確かな実像と可能性が登場し、場の空気がさざめき立っている。


「無責任?」


 数万の視線を一身に浴びるチェイスの目にはもう、一片のかげりもない。


「あんた、あと何年生きるつもりだ。今ここではじめた戦争、生きてるうちにキレイさっぱり片づけられる計算なんだよな。じゃなかったら、無責任はどっちだ?」


 山の族長は即座に、なにかを言い返そうと口を開いた。しかし言葉は出てこず、握り締めたハンマーがわずかに揺れる。

 平原の族長も模様の刻まれた手で目を覆い、沈黙していた。

 チェイスは母レイラを振り返った。会話までフィオには聞こえないが、母子がしっかりうなずき合う様子が見える。と、チェイスは向き直るや否や、鉄格子の間を潜り迷いなく広場に飛び込んできた。


「チェイス、危ないよ」

「嫁!」


 赤土を踏み締め、チェイスはパヴリン・テイルも小竜のことも構わず走り寄る。フィオに飛びつくと、力強くあたたかい腕の中に掻き抱いた。


「岩の族長が果たすべき責任は、土の中にない! 俺は愛しい妻と民、そして生まれてくる我が子のため、その未来のために、使命を全うする! この命を懸けて!」


 瞬間、闘技場コロセウムの一部が沸いた。それは岩の民たちがいる観戦席だった。みんな思い思いにかぶとを投げ、武器を捨てる。響く雄叫びの合間から聞こえてくるのは、チェイスの名前だ。


「長の言う通りだ! 俺たちの戦いに子どもたちを巻き込んでいいはずがない!」

「戦いたいんじゃない! 守りたいんだ!」

「過去は変えられなくても、未来は変えられる!」


 彼らの声に、山の民と平原の民もためらいを見せる。ある者は夢から覚めたように瞬きをくり返し、ある者は懐疑的にハンマーや剣を見つめた。

 フィオに注がれる眼差しも、ぽつぽつと敵意が薄れていく。その変化にパヴリン・テイルはきょろきょろとし、小竜は翼を伸ばしてあくびした。


「チェイス――」


 晴れやかな表情で、フィオがチェイスに笑いかけようとした時だった。けたたましい鐘の音があたりに響き渡る。誰もが息を詰め、固まり、闘技場コロセウムは昼間とは思えない静寂に支配された。

 警鐘の音だけがひとり走る。


「長! チェイス様大変です……っ!」


 そこへ、すり鉢状の観戦席の最上段に、肩で息をした岩の青年が現れた。


「東南よりドラゴンの大群が押し寄せてきます! 翼はなくて、ひれの生えた見たことないやつらばかり! おそらく海岸から湧いてきてます……!」

「ひれ……竜鰭りゅうぎ科がなんでこんなところに!」


 フィオは瞬時に、現れたのは海に棲む竜鰭科だと察した。しかしこの種は光も差さない深い海を好み、現代でも滅多に姿を見せない。それがなぜ突然、内陸に位置するヒルトップ村に襲いかかるのか。


「バカな。合図を待つ手筈だったろ……!」


 青ざめたチェイスが意味深な言葉を口走る。なんのことか、フィオが尋ねるよりも早く、闘技場コロセウムの向こうで人の悲鳴が上がった。

 その喧騒はみるみると迫り、木の大扉を突き破いて目の前に飛び込んでくる。

 荷車と、それを引いてきたふたりの男たちだった。荷車の勢いを殺しきれず車体は横転し、引き手の男たちも巻き込まれて赤土に倒れる。荷台からなにか布にくるまれた荷物が転がり落ちた。

 パヴリン・テイルと小竜が、警戒も顕に鋭く鳴く。


「へへへ……。これでみんな、まとめておしまいだ……。ざまあみろ」


 倒れた男のひとりは、不気味な笑みを張りつけていた。よく日焼けした肌は岩の民よりも黒く、長いひげと髪は伸びるままに放置されている。おまけに破れたり汚れたりしている服はみすぼらしく、まるで賊のような風貌だ。

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