257 闘技場の死闘②
陽光を弾いて銀糸滴る口に、フィオは鎮静香を投げた。間髪をいれず、あえてドラゴンの懐に飛び込み牙の射程外へ逃れる。
翼腕を潜り抜けながら振り向けば、パヴリン・テイルは咳とくしゃみをくり返していた。
「ごめんね! 体に悪いものじゃないから」
気の毒だったがこれは好機だ。フィオは一気に巾着をふたつ掴み、畳みかけようと踏み込む。その瞬間、足を置いた地面がえぐれ断崖絶壁に立たされたような緊張感に襲われた。
手足がやけに重い。自分の心音ばかりが耳に響く。のどが強張って呼吸が止まる。
固まったフィオの目と、
「来るぞ! 嫁え!」
チェイスの声が、フィオを崖の錯覚から解き放つ。とっさにきびすを返すフィオに向け、パヴリン・テイルは大きく身をひねった。そこへ上からパラパラと木片が降り注ぐ。
観戦者たちが息を呑み、指をさす。その先には突き上げられた板があった。まさか、なんて考えは愚考だ。フィオこそがドラゴンの聡明さをよく知っている。
空気抵抗を受けて武具よりもゆっくりと落ちてきた板を、ドラゴンは六つの尾で弾き飛ばした。
「あ……っ」
拳ほど厚さのある板が、打撃音とともに向きを変える。ぐるぐると回転しながら、それはフィオを巻き込まんと迫った。
考えるよりも早く足が逃げ出す。しかし急激な動きに患部は持ちこたえられなかった。痛みが目の前で火花を散らし、恐れ戦いた本能が動くなと指令を下す。
足を止めてしまったせつなの静寂、フィオは耳裏に冷たい風を感じた。
「ぎゅあ!」
その時、背中に衝撃を感じてフィオは地面に倒れた。頭のすぐ上を重い風が駆け抜け、木板は壁にぶつかって砕けた。
しばし呆然とするフィオの意識を、かん高い鳴き声が叩き起こす。ハッと目を向けると、白い小竜が小さな体でパヴリン・テイルに吠えていた。
「おチビ!」
拷問部屋で一夜を明かしたフィオは、昨夜からその姿を見ることはできなかったが、小竜は今までうまく隠れていたらしい。
「おいっ、なんだ!? ドラゴンが増えたぞ!」
「小さいけど白いから、六つ又の子どもかあ?」
「それにしちゃあなんか、親に楯突いてる感じだが」
パヴリン・テイルは目を白黒させていた。突然、同朋が現れたかと思えば、人間ではなくドラゴンに突っかかってくるのだ。頭でも打ったのか? と言いたげな顔つきだった。
「おチビさん、おいで」
差し伸べたフィオの手に、小竜がすんなり身を寄せると、周囲の動揺は頂点を極めた。パイナップル頭の族長が席を立つ。それにつられるようにして、後方にいた人々が前列へ詰めかけた。
「どういうことだ」
「なにが起きてるんだ」
人間の愕然とする声などそよ風にして、頬にすり寄ってくる小竜にフィオは声を立てて笑う。とたん、水を打ったように静まり返る周りなど見えていなかった。
フィオが小竜を見つめる。小竜もひなた色の目で見つめ返す。姿形は少しも似ていない互いを映す目には、確かに同じぬくもりの絆が輝いていた。
「おチビさん、力を貸してくれる?」
「きゅあ!」
「私の翼になって!」
返事の代わりに小竜は後脚を差し出す。フィオは両手でしっかりと掴まった。
数万人の声なき驚きの吐息が赤土をなでた時、フィオの足は地面から浮く。小竜が操る風のマナに金の髪を遊ばせ、衣の裾をはためかせ、鉄格子越しに広がる空へ羽ばたいた。
角笛の音色が美しい弦音に変わる。
「怖がらないで」
パヴリン・テイルの頭上を小竜がすばやく旋回するのに合わせ、フィオはありったけの鎮静香をまいた。白く立ち昇った煙が四方を取り囲む。
ドラゴンは怯えたような声をこぼし、翼腕で吹き飛ばそうとする。それがかえって、香のにおいを煽り立てた。
「落ち着いて。だいじょうぶ。あなたと戦いたくない。私はあなたを知りたいだけ」
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