256 闘技場の死闘①

「高めの声……翼竜科かな……耳障りな音で気が立ってる」


 フィオは声からわかることを整理しながら、族長席前に用意された武具に目を走らせた。剣、槍、弓、ハンマーの他に、盾やかぶとといった防具がずらりと並んでいる。

 その中からフィオは隅に置かれた革袋に目を留めた。武具とは異なる存在にもしやと勘が働く。中には四隅をひもで縛った巾着が入っていた。


「チェイス、ありがとう」


 これはフィオがチェイスの狩りについていった時、作っておいた鎮静香だ。横で見ていたチェイスは、その効能を覚えていてくれたのだろう。

 革袋だけを持って離れたフィオに、闘技場コロセウムがどよめく。が、その声はすぐに緊迫した悲鳴へと変わった。


「ドラゴンが出てきたぞ!」

「しっぽが六又のやつか……!」


 通路の影から日の下へ、ドラゴンが強靭な体躯をあらわにする。

 フィオの予想通り、それは翼竜科だった。白い体はなまめかしく陽光を弾き、二本の角は下向きに生え、優美な波を描く。

 そしてなによりも目を引くのは、六つに分かれた尾だ。尾には羽毛が生えていてメスはハート模様だが、現れた個体はダイヤ模様だった。


「翼竜科パヴリン・テイルのオス。とてもきれいだね」


 パヴリン・テイルはギロリと周りを見回し、観戦席に向かって飛びついた。しかしそこには鉄格子の覆いがあり、爪は人間まで届かない。そのまま抜け道を探すように天井を這うが、中央にあいた穴は小さく、突き出した鉄杭に翼を痛めるのは明白だった。

 苛々と鼻息を吐いたドラゴンは、そこで無防備に佇む人間に気づく。身をひねって軽やかに下りると、赤土を舞い上げた風がフィオの髪を揺らした。

 見事な六又の尾を逆立て扇状に開き、角を振りかざして威嚇の声を上げる。しかし、六つのうちひとつの尾は、人間にやられたのか中ほどで切断されていた。


「痛かったね……ごめんね」


 フィオは刺激しないよう相手から視線を逸らし、首の角笛を取った。

 戦え。殺せ。騒ぎ立てる声の渦の中、そっと風鳴りを奏でる。赤子が母の声だけは聞き分けるように、パヴリン・テイルはひくりと反応した。

 様子をうかがっているドラゴンに、フィオは祈りを込めて巾着を投げる。


「信じて。私はあなたを傷つけない。あなたを知りたいの」


 ひもを外して放った鎮静香は、ドラゴンの鼻先で弾けた。粉塵ふんじんに驚き、パヴリン・テイルは仰け反る。翼腕から闘気がほとばしる。

 まずい。

 跳ねる鼓動を抑えつけ、フィオはドラゴンが突進してくる寸前に横へ前転した。


「鎮静香の香りをまだ知らないんだっ。何度か嗅がせなくちゃ……!」


 起き上がるや否や走り出す。パヴリン・テイルは赤土を蹴立てて猛然と追いかけてきた。

 相手が翼竜科だったことは幸いだ。走りが苦手な種でなかったら、びっこを引くフィオなどあっという間に捕らえられている。

 やっとおもしろくなってきたと言わんばかりに、周りははやし立てる。鉄格子を叩く者もいる。その騒音に負けじと、フィオは角笛を放さなかった。


「そうだ、武具のところに行けば!」


 痛みを訴える足を引きずり、武具のところへ急ぐ。フィオが目をつけたのは装備品ではなく、それらを立てかけている板のほうだ。これが壁となって、ドラゴンと距離を置くことができる。

 読み通り、板の裏に回ったフィオに対し、パヴリン・テイルはかすかに怯んだ。剣や槍に痛めつけられた記憶が過ったのかもしれない。


「もう一度!」


 すかさずフィオは鎮静香を投げる。鼻先から少し逸れ、ドラゴンの胸に当たると思われた瞬間、しなやかな翼腕がそれを弾いた。

 怒りを帯びた咆哮が天を衝き、鼓膜をビリビリと叩く。

 肌が粟立つのを感じた時にはもう、ドラゴンは頭を低く下げ角を突き出し、武具ごとフィオを貫こうとしていた。


「きゃあ!」


 ドッ、とすさまじい衝突音が響く。尻を打ったフィオは、かざした腕越しに板や武具が紙切れのように吹き飛ばされるのを見た。パヴリン・テイルの勢いは止まらず、黒い影となって覆いかぶさり、牙が振り下ろされる。

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