247 拒絶①

 六つのうろんな目にためらうことなく、フィオはドラゴンの頭を抱き締めた。


「お願い。私の友人を谷の向こうまで運んで欲しい。飛ぼうとしなくていいよ。マナを使って風に乗るの。翼竜のあなたならきっとできる。大人三人は少し重いと思うけど、お願い」


 それと、と言いかけた時、薬師のひとりが声を上げた。


「火! たいまつの火だ。列を成して下りてくるぞ!」

「くそっ。考えてる暇はないな……!」


 見れば赤岩の岩肌に、赤い光が点々と揺れ動いていた。その数、二十はあるだろうか。見張りの報告を受けてくり出してきた、岩の男衆に違いない。

 薬師たちは追い立てられるように、ドラゴンの背に乗る。翼竜が興奮してグルグルとうなる。

 逸る気持ちを抑えて、フィオは今一度マティ・ヴェヒターをぎゅうと抱いた。


「会えたら伝えて欲しいの! プッチに、チェイスはまだあなたのこと忘れてないって!」

「奥方殿、早く!」

「乗ってください。岩の民が来ます!」


 ドラゴンの背から身を乗り出し、手招く薬師たちを見上げながら、フィオはあとずさった。マティ・ヴェヒターが翼を広げ、気流が生まれる。背後から岩の民の気づいた声が降ってくる。


「私は行きません。このドラゴンに大人三人でも負担なんです。行ってください。私は残って戦争を止めてみせます」

「ダメです! ここにいたらあなたも争いに巻き込まれる……!」


 そう叫んだのは代表の薬師だった。揺らぎそうになる心を、フィオは服の上から掴む。

 正直、なにが最善でなにが間違いか、今もわからなかった。それはきっと考えても答えの出るものではない。


――あの子を解放してあげてください。


――どうか、チェイスに力を貸してあげて……。


 だったら今必要としてくれる人のそばで、できる限りのことをしたい。竜狂いと知りながら、フィオを拾ったチェイスの心に賭ける。


「村に戻ったら、あなたたちの神様に伝えてくれませんか。争いが起きようとしていること。これは『親愛なるテーゼと時渡りの友からの伝言だ』と!」

「テーゼ? 時渡り? あなたは一体……」


 一段と近づいてきた追っ手たちの声に、マティ・ヴェヒターが牙を剥いてうなる。

 フィオは気を鎮めるため角笛を取り出し、ひもを持って回した。低い風鳴りから研ぎ澄まされた弦音つるねへ、変化する音にドラゴンの意識が移る。

 おだやかさを取り戻した三対の目を見て、フィオはしかとうなずいた。


「その首飾り……! 今一度あなたの名前を教えてくれませんか!?」


 翼に力を込める翼竜科から距離を取りながら、フィオは代表の男に答える。


「フィオ」

「ああ、ああ、どうして気づかなかったんだっ。ジョットという男の子を知っていますか!? 彼はあなたを捜している! 今熱を出して、僕の家にいるんです! フィオさん、やっぱりいっしょに行きましょう!」


 その瞬間、一切の音と光が彼方へ遠のき、フィオは服や肉体から解き放たれて空と溶け合った。コズモエンデバレーの峰々を越え、深い森を分け入った奥地に、はっきりと感じる。

 ロケットペンダントに触れて彼を思い出した時に感じた、陽だまりのような気配だ。

 あたたかくてやわらかな肌を、いつも背中に受けとめていた。曲がることを知らない金色の瞳で、フィオの道を照らしてくれていた。

 ジョット。

 なぜ。どうして。

 湧き上がる疑問は尽きないけれど、あなたをもう一度感じられたことが、うれしいと思ってしまう。


「ドラゴンを追い払え!」

「怯むな! 翼を狙え!」


 岩の男衆の怒号が耳に飛び込んでくる。フィオがハッと意識の底から浮上すると、まるで雨のように槍が投げ込まれていた。

 弦音をまとう角笛を空へ放つ。


「飛べ!」


 キラキラ輝く青い軌跡を辿るように、マティ・ヴェヒターは大きく羽ばたいた。風圧がシッポ草の海原を駆け抜け、槍の放物線を乱す。

 顔をかばい、怯む追っ手たちを背に、フィオは頬をなでていく風に目を細めた。

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