241 森の薬師②
「違う。このひなは……非常食として置いてやっている」
視線に堪えかねたのか、そんなことを言い出すチェイスの背を、フィオは引っ叩いた。
「いやそのドラゴン、短角取れてるから成体ですよ」
おずおずと訂正したのは代表の男だ。フィオはパッと表情を明るくする。
「そうなんですよ! 幼体と成体の見分けがつく方とお会いできてうれしいです!」
「いえそんな。こんなに小さい成体ドラゴンを見るのははじめてなので、すぐには気がつけませんでしたけど」
「十分お詳しいですよ」
「それを言うならあなたこそ。部屋に入った時は驚きました。ドラゴンが完全にあなたに信頼を置いてましたので。一体どんな妙技をお持ちなのですか?」
「おい待てそこ! 人の嫁とイチャつくんじゃねえ!」
ようやく理解者と会えたのに、チェイスが邪魔をする。抱き寄せようとする腕を嫌がりながら、フィオは呆れた目を送った。
「イチャついてないから」
「僕としても心外です。僕には身重の妻と娘がいるんですよ」
「うるせえ! 話はこれで終わりだ」
すっかりへそを曲げたチェイスは、虫でも払うように手を振る。森の民たちは眉をひそめたが、腰を上げようとした。
まずい。せっかくの機会が終わってしまう。焦ったフィオは思いきって声を上げた。
「待ってください! チェイスも話を聞いて。私たちはもっとお互いをよく知るべきなんだよ。ドラゴンが恐ろしいと思うのは、彼らを知らないから。でも薬師さんたちはそれを知ってる。だから恐れていない」
「バカを言え。こいつらこそ腰抜けだ。ドラゴンに恐れをなして、自らへりくだった。人間の恥さらしだ」
「本当にそうなの?」
チェイスの腕から抜け出して、フィオは立ち上がった。薬師たちをかばうように間に入り、チェイスと向き合う。
彼の青い目が剣呑に細められた。一段と張り詰める空気に誰もが身じろぎひとつしない中、フィオは静かに問う。
「『邪教の村ではどうなのか、俺は知らない』って、チェイス前に言ったよね。彼らの村を見たことがないんでしょ。どうして知りもしないのに、ドラゴンに支配されてるって決めつけるの。どうして子どもたちの幸せを願ってるのに、平和を取らないの」
言葉を紡ぐごとに、チェイスの目は烈しさを増した。深く刻まれるしわは、憎悪を浮かび上がらせると同時に、彼の苦痛とも映った。
痛いだろう。父と兄をドラゴンに殺されたチェイスには、フィオの言葉はナイフと同じだ。
苦しくないはずがない。愛に首を締められ、彼は責任と使命から逃れられない。
「行こうよ、チェイス」
だったら私が連れ出す。
フィオはチェイスに手を差し伸べた。罪は全部、この手になすりつければいい。
「彼らの村をいっしょに見に行こう。ドラゴンとのつき合い方を、いっしょに教わろう。ねえ、ドラゴンを追い払って平和になっても、お父さんやお兄さんがいなかったら幸せになれないよ。そうでしょ? チェイス」
傷口をえぐるずるい言い方だと思った。チェイスの視線が心に突き刺さる。しかしフィオはその切っ先を自ら押し込むように、前へ出た。
信じろと言うのなら、この若き族長をフィオが誰よりも信じ抜かなければならない。
「嫁」
豆のある武骨な手が、ゆっくりと持ち上がる。フィオの手に重ね合わせるように差し出されたそれを見て、安堵の息がこぼれた。
やっとわかってくれた。
笑みをほころばせて、残りわずかな距離を迎えにいく。フィオがチェイスの手を掴んだ瞬間、彼の指が肌に食い込んだ。あっと思った時には、強く引かれて倒れる。
「ごめんな」
胸板に受けとめられながら、彼の小さく揺れる声を聞いた気がした。
「客人はお帰りだ!」
敷地中に族長の声が響く。それが合図だったのだろう。すだれから次々と武装した男たちが踏み込んできた。
手に携えた槍を薬師たちに突きつける。囲まれた彼らの顔は強張っていたが、驚く様子はない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます