240 森の薬師①
思わず脱力した拍子に、チェイスの手からフィオのぬくもりが離れた。彼女は弾かれるように立ち上がる。
「森って、もしかして竜狂いの方ですか!?」
「ええ、そうよ。フィオさんの知り合いかもしれないわね」
「あー、そ、そうですね。私も会ってみたいです。ねえチェイス、私もいていい?」
チェイスは首裏を掻きながら思案した。この来客は自分が呼び寄せたものだ。邪教の民は変わり者だが、薬師としては腕がいい。定期的に薬を売り買いする交流だけは、以前からつづいている。
が、今後この竜狂いの嫁をもらい受けるにあたって、両民族の関係は変わるはずだ。それがどちらへ転ぶかはともかく、あいさつくらいしておいてもいいだろう。
「わかった。嫁は俺の隣にいろ」
* * *
「ご注文はありったけの傷薬、痛み止め、それに解熱薬でしたね。村中の薬を掻き集めて二〇〇ずつ用意しました。確認してください」
チェイスと向き合って座った男がそう言うと、後ろにひかえていたふたりの男が、木箱を下げて進み出てきた。
三人とも、ミミの祖母と母のケープとよく似た羽織りをかけている。つるを編んだ髪飾りと色白の肌を除けば、石の民と変わったところは特になかった。
箱の中身を検分するチェイスの横で、フィオは小竜を抱いたまま座っている。その姿に森の民たちは声なく驚いていた。しかし他部族の長を前に取り乱すことは堪えたようで、すぐに表情を繕った。
商談と言うには、いささか緊迫した空気が流れている。
「確かに受け取った。ご苦労だったな。報酬は少し弾んでやったぞ」
箱を閉めたチェイスは、脇に佇む男衆に合図を送り、品を下げさせる。そして盆に用意してあった革袋を取ると、ぞんざいに投げた。
その態度にフィオはムッとしたが、薬師たちは眉ひとつ動かさない。三人とも恭しく頭を下げ、代表の男が革袋に手をかける。
懐へしまうかと思われた動きは、ふいに止まった。
「これだけ大量の薬をお求めになるとは、ずいぶん物騒ですね」
唐突に振られた世間話にも、チェイスは涼しい顔で応える。
「まあな。てめえらと違って、俺らは大人しくやつらの供物になる気はないんでね」
「それにしても二〇〇とは。過去にない数だ。近く、戦争でもはじめるおつもりですか?」
「ただの備えだ。近々、四部族間で合同演習もおこなわれるからな。万が一、怪我人が出た時のためだ」
「ほお、これは初耳ですな。我ら森の民にもお誘いかけてくださらないとは、意地が悪い。それほどの大規模演習、一体なにを仮想の敵とされているのか、大変興味があるのですが」
そうだな、とチェイスはあごをさすり、もったいつける。薬師たちひとりひとりの顔を見回し、薄く開いた唇に笑みを浮かべた。
「たとえば全ドラゴン。そしてそれを率いる親玉、と言ったら?」
「……やめておきなさい。神の前に人は無力です。許しを乞い、慈悲を賜ればともに暮らしていける道も開かれます」
「邪教が」
「こら、チェイス。さっきからお客様に失礼だよ」
さすがに目に余り、フィオはチェイスをひじで小突いた。すると薬師たちの視線が一斉に向けられ、また困惑したような空気が漂う。フィオは慌てて小竜を抱え直し、居住まいを正した。
「紹介が遅れました。私は――」
「嫁のフィオだ」
「嫁じゃない!」
勝手に言葉を奪っていくチェイスに、フィオはすかさず噛みつく。乱れた
「えっと、嫁じゃなくて、一時世話になっている者です。ドラゴンと共生なさっているみなさんと、ずっとお会いしたいと思っていました。私も人とドラゴンが争うことには反対なんです」
その証として、フィオは小竜を軽く持ち上げてみせた。遊びと思ったらしい小竜は、首を伸ばしてあごを舐めてくる。
竜狂いと呼ばれる森の民たちはざわついた。後方にひかえるふたりの男は、こそこそと耳打ちをはじめる。代表の男も開いた口が塞がらず、小竜とチェイスを見比べていた。
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