239 お邪魔虫
我ら指揮の下、
平原と山の全兵を率いて進軍せり。
明朝、貴公の領土に入る見通し。
つつがなく迎え入れたし。
読み終わるや否や、チェイスは床から羊皮紙を一枚拾う。木炭で了承の旨と名前を書き、丸めるのもそこそこに青年へ押しつけた。
「すぐ渡しに行ってやれ」
「はい! 失礼しました!」
逃げるように出ていった青年につづき、チェイスはすだれから顔を出した。渡り廊下、集会所、庭に誰もいないことを確かめて、ひとりうなずく。
「嫁、お前はなんて格好をしてるんだ」
振り返ってみると、フィオが毛皮の上着をちゃっかり着ていて肩が下がった。しかしチェイスはめげずに、すばやく近づいて逃げ腰を再び捕まえる。
「いやいやいや。もうそういう空気流れたでしょ」
「安心しろ。俺様がすぐその気にさせてやる」
「結構です。それより私の首輪返して」
「ダメだ。他の男の絵入りなんて。お前はまだこのチェイス様の妻って自覚が足らねえようだな。いいか? 今後い、ぐお!?」
そこへ、今度はとんでもない重量が頭に降ってきた。髪をこねくり回すなにかが「きゅーきゅー」鳴いている。
「あ、おチビさんおかえり。ヤギでも丸呑みしてきたの? すごいお腹だね」
振り上げたチェイスの腕は、空振りに終わった。軽くなった頭を起こすと、白いドラゴンのひながフィオに抱かれて満足そうにしている。
その腹がふくれていた。今朝はいないと思ったが、こいつも狩りに出ていたらしい。窓も警戒しておくべきだった。
こうなるとフィオはひなにべったりで、ますます近づきがたくなる。嫁の胸枕を奪う憎きドラゴンを、チェイスは親の敵を見る目でにらんだ。
「嫁! そのブタドラゴンを放り出せ! そいつよりも俺を優先するべきだろ!?」
「別に優先したつもりはないけど。だったら、自分で放り出してみれば?」
ズイとひなを差し出され、チェイスはほくそ笑む。ひな一匹放り出すことなど容易い。翼をまとめて掴み、頭を押さえてやればおしまいだ。
すでにチェイスはフィオの上着を剥くことを考えながら、ひなに手を伸ばす。と、小さな頭がぐるりと反り返り、近づいたチェイスの手をべろべろ舐めた。
「ぎゃあああ!? この野郎俺の手を……!」
「大げさだなあ。舐めただけじゃん」
「違う! こいつは妙な病を俺に
「はいはい。それは大変だね。手を上から出すから、この子も身構えちゃうんだよ」
極自然にフィオはチェイスの手を掴んできた。自分からは触れてこないくせに、ドラゴンが絡むと無邪気な笑顔を見せる。
「はい、裏返して」
チェイスを引き寄せるひと回り小さな手を、ゆるく握った。振り払うどころか、フィオは安心させるように握り返す。
「下からそっと近づけるの。においを嗅がせてあげて。ほら、なにもしてこないでしょ」
フィオの言う通り、ひなは再び近づいてきたチェイスの手に鼻を寄せただけで、大人しくしていた。
ゆっくり瞬いた色素の薄い目を、横へ逸らす。一見冷たい仕草だが、武術に覚えのある者にはわかる。敵と見なした相手なら、けして目を離すことはしない。
まるで許された心地だった。フィオに導かれるまま、ひなの無防備な首にチェイスの指先が触れる。
「プッチ……」
ひなの姿が懐かしい景色と重なったその時、
「きゃ。芽生えはじめているわね」
またしても第三者の声が水を差す。
錆びたナイフでももう少しなめらかだろう動きでチェイスが振り向くと、すだれから母レイラが覗き込んでいた。
「偉いわ、チェイス。魅力的なフィオさんを前にしても、紳士的に手を繋ぐだけに留めて。そうよ。女性は陶器のようにやさしく扱ってね。心が大事なの。世継ぎを成す時もね」
「いや母上、助言よりもそこにいられると……」
「あらあら。そうね、母はお邪魔よね。うふふっ。なんだかうれしくなっちゃって! あ、そうそう。お客様が来てるわよ。森の薬師さん」
「それを先に言って!?」
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