238 首輪の中の絵
なにかの獣の角笛はよく見かけるが、透明な色つき石は相当珍しい。色つき石が採れる山の民の中でも、族長かその親類にしか与えられない品だ。
「前の夫よりいい男ってのは、部族長か?」
「え?」
「言ってただろ。そのきらびやかな首輪は、そいつからもらったって」
あごでしゃくってみせると、フィオは首輪を手に取った。とたん、目元がほころぶ。眼差しにぬくもりが帯びて、石の表面をなでる指は愛おしむようだ。
そのくせ、口を開けばまるで自覚のない声で語る。
「いや、これは、えっと、拾い物だよ。中に大事な人の絵を入れたの」
「ふうん。そいつは俺より強いのか」
「強いとか弱いとかじゃない。彼は私の弟分で、大事な友だち。ダメな私を支えてくれたんだ。彼がくれた勇気を、ずっと忘れたくないの」
パチリと軽い音がした。フィオの手元を見ると、石が半分に割れている。けれど片側はしっかりと固定されているようだ。石の民にはない細かな仕かけに吸い寄せられ、チェイスは腰を上げる。
覗き込んでみると確かに、小さな人の顔が中に収まっていた。熱心に絵を見つめるフィオが気に入らず、チェイスは首輪をふんだくる。
「なんだ。まだガキじゃねえか」
小さな絵に描かれていたのは、村にいれば避難させているような子どもだった。こんなガキにフィオを守れるはずもない。チェイスは鼻で笑い飛ばす。
しかし嫁と決めた女が男の、しかも自分より遥かにうまい絵を持ち歩いていることは、気に食わなかった。細いあごを掴み上向かせ、その目にチェイスという男を焼きつけさせる。
「え……あ、ジョット、くん?」
ところが、嫁の唇が紡いだのは、知らない男の名前だった。
「白昼夢でも見たかよ。このチェイス様を誰と間違えてやがる」
掴んだあごに爪を立てる。痛みで我に返り、フィオは目を瞬かせた。
誰と言いながら、チェイスは名前の主に勘づいていた。小さな絵に描かれた少年だ。弟分だか友だちだか知らないが、忘れたくない男が夫以外にもいるというなら、捨て置くわけがない。
チェイスは首輪を胸のポケットに押し込む。
「あっ、返してよ!」
追いかけてきた腕を掴み、力任せに引っ張った。倒れてきた体を受けとめて抱き込む。逃げる腰を押さえつけ、足を割ってひざを差し入れてやれば、獲物はもうこの手の中だ。
顔だけでも逸らそうとするかわいい抵抗を片手であやし、柔いうなじに爪を立てる。痛みに歪むフィオの顔を、チェイスはつぶさに観察した。
「ジョットか。そのガキと夫婦になる約束でもしてるのか」
「してない。放して」
「嘘をつけ。ただの弟分の絵を肌身離さず持ち歩くか」
「できないの。彼には、もう……」
その先の言葉をフィオは飲み込んだが、十分だった。甘美な愉悦が込み上げてくる。チェイスを見た嫁が怯えたような目をしたのが、ますます欲を煽った。
でもまだだ。まだ足りない。伏したまつ毛の影には、ジョットを
「だったら、そんな男いつまで想っていても仕方ないだろ。そいつは今頃、てめえの嫁と仲よくしてるんだ」
「それ、は……」
「過去より今を見つめろ。俺だけを見ろ」
吐息で唇をなでる。誘うように震えたそこへ覆いかぶさる。
「ダメ」
「俺が忘れさせてやる」
「ちはー! 長、手紙が届きましたよー!」
天を突き抜けるほど明るい声が、場の空気を吹き飛ばした。米神がピキピキと跳ねるのを感じながら、チェイスは戸口を見やる。
「あ、やっべ」
ずけずけここまで入ってきた村の青年は、笑顔を硬直させた。
「察したんなら出てけや」
「いやっ、でも長! 平原と山の族長からの手紙で! 至急返事が欲しいって使いの者がですね!」
「ああ? 間の悪いジジイどもめ」
チェイスは舌打ちし、青年から巻いた羊皮紙を奪った。端を持って振り広げ、目を通す。中には簡素な文と、ふたりの族長の名がつづられていた。
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