237 チェイスの趣味②

 フィオは驚くでもからかうでもなく、「そうなんだ」と静かにつぶやいた。男なのに槍ではなく木炭を握っているなんて女々しい。そう言われることも覚悟していたのに、大人しく敷物に腰を下ろす。

 頭からつま先まで姿勢よく伸びて、フィオは横になりながら腹で手を組んだ。


「こんな感じ?」

「いや、棺桶入った死体を描きたいわけじゃないんだよ俺は」


 ため息とともにこぼれた声は、思ったよりもやわらかかった。

 安心したのか。この俺が? 内心の動揺を意地で押し込め、フィオの姿勢を直す。毛皮の上着を折り畳み、そこにもたれるようにして、少し身をひねろと注文をつけた。

 どうしても手持ちぶさたになるらしい手は、片方は顔の横に投げ出させ、もう片方は自然に腰にかけさせる。そうしてようやく絵になってきた。


「仕上げはこいつだな」

「わっ」


 指先で金の髪を払い、耳にかける。母よりもやわらかくて繊細な髪だった。覗いた米神に白い花を慎重に差し込む。

 本当は青か紫が似合うと思ったが、土と岩ばかりの荒野では、花を探すだけでもひと苦労だった。

 触って花を確かめたフィオは、驚いたように目をまるめる。


「どうしたの、これ」

「今朝の狩りでついでに摘んできた。うん、白も悪くないな。さすが俺の嫁。本物の精霊と見間違える美しさだ」


 せっかく褒めてやったのに、フィオはがくりと項垂れた。その拍子に花が外れかかる。


「おい、動くな。じっとして、俺を見つめてろ」


 すると今度は勢いよく顔を上げて、口を開いた。文句が飛び出してくるかと思いきや、唇がわなわなと震えている。威勢のよかった眉もだんだんと力をなくして、目の水分が少し増したようだった。

 これはいい。チェイスは絶景を描き留めようと木炭を手に取る。しかしフィオはあろうことか、顔を手で隠してしまった。


「嫁! 今いいとこなんだ。手をどけろ!」

「待って、ムリ。ちょっと待って……」

「ダメだ。俺はその色っぽい顔がいいんだ。見せろ」

「もっとムリだってば。あー、歴史のためじゃなきゃこんなこと……」

「歴史がなんだって?」


 聞き返したが、フィオはなんでもないと言って手を下ろした。気持ちを切り替え、チェイスは絵に集中する。

 あごの輪郭、頭の形を手早く整えていく。首から肩の線にはまろみを出し、締まった腰からなだらかに盛り上がる尻までを一気に描いた。そして腕の位置をていねいに測る。

 足と比べて腕は、ほんのり筋肉が乗っているようだった。手にも豆がある。不自由な足を思えば武術ではないだろうが、やはりただの女ではない。

 胸当て布からはみ出した乳房を、チェイスはじっと見つめた。床と自重に押されてできた谷間は深く、肩から流れる金糸の先が挟まれている。

 その見事な曲線を瞳に映す。木炭を持つチェイスの指先がなぞる。


「んんっ」


 むずがる声にちらと見れば、フィオは手で胸元を隠した。どこを見ているか感じ取れるらしい。

 邪魔されたことをチェイスはくすりと笑って許し、腰を覆う布を描いていく。その切れ間からさらされた太ももを注視した。

 むちむちとした肉感を表しながら、ひざはしなやかに描く。ふくらはぎの丸みから足首のくびれ、そしてかかとの張り。

 チェイスはこれらの造形が一番好きだった。舐めるように見つめる。特にフィオは土踏まずが発達していて、めりはりが際立っていた。

 布のしわを描き込みながら愛でていると、見本がまた身じろぐ。


「まだ?」

「お前が動いてると、一生終わらねえ」

「だって……」


 消えた言葉尻を追いかけて、チェイスは目だけを起こす。とたん、空色の目は伏して逃げてしまった。ほんのり色づいた耳元で、白い花が健気に震えている。

 おいしそうだ。

 そう思ったらのどが鳴っていた。音が聞こえたかわからないが、それからフィオはうつむいたまま大人しくなった。

 肩の傷を念入りになぞりつつ、チェイスは胸元の装身具を描いていく。

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