第9章 罪深き夢物語

236 チェイスの趣味①

「なんでまたこんな服なんですかあああ!」


 母の部屋から今日も嫁の絶叫がする。荒野から拾ってきて七日目。着替えた服はそろそろ十指を越えようとしているのだから、いい加減慣れればいいものを、と呆れる。

 また文句を言われるんだろうな。そう考える自分の口角が上がっているとは知らず、チェイスはいそいそと木炭の顔料と羊皮紙を用意した。


「入ってこいよ、嫁。足見えてんだよ」


 しばらくして、すだれの下から足が生えた。しかしそこから一歩も進んでこない様子にせっついてやると、白い裸足がびくりと震える。もじもじと足踏みするつま先を、チェイスは横になって待った。

 まどろっこしいのは性分に合わない。チェイスはこうと決めたら口にして、言葉通りに行動してきた。だが嫁はなかなか思い通りにならず、口答えはするし、遠慮もないどころか邪教に勧誘しようとする。


「ああ、もうっ」


 足首が怒って、すだれが揺れた。ようやく見えたフィオの顔はむすりとして、唇がひん曲がっている。彼女が歩く度、大きな切れ込みを入れた腰布が、ひざに蹴られて跳ねた。


「この変態族長! あなたの性癖を言い触らして、千年先までの恥にしてやるからね!」


 胸当て布は少し小さかったか、上乳が覗いている。そこから脇腹に沿って尻まで流れる飾り布は、レイラの案だった。

 チェイスとしては無用だと思ったが、なるほど、布が体の線を際立たせている。それに隠されると、余計に惹かれるというのが人の性だ。


「で、今回はなんの服なわけ? まさかこれで家事やれなんて言わないでしょうね」


 悪いくせに勇みがちで無謀な足、ふくよかで吸いつく手触りなのに浅くはない傷痕を残す肌、けして愚かではないがバカまっすぐな眼差し。

 ヒルトップでも他部族の村でも、出会ったことのない女に日々ケンカを売られる。


「ちょっと! ジロジロ見てないでなんとか言いなさい!」


 それを律儀に買っては楽しんでいる自分が、一番の想定外だ。


「あ? まーたうまそうに肥えたなあと思ってよ」

「うううるさい! レイラさんの料理がおいしいのが悪い!」

「そりゃこの最強チェイス様を育て上げた母上だからな。当然だ。ちなみに、その服は母上もいっしょに考えたやつだぞ。水の精の沐浴着を想像した服だ。千年先がどうの言ってたが、母上に恥をかかせる気か?」


 砂を噛んだような顔をして、フィオは押し黙った。勝利の笑みを浮かべて、チェイスは起き上がり敷物を整える。


「じゃあ、ここに横になれ」

「は。……やだ」

「水の精があたたかい砂の上で、体を乾かすようにだ。力を抜いて、無防備に、濡れた体をさらす。やってみろ」

「やだってば。昼間からなに考えてんの。私もう着替えるからね」


 そっけない手を捕まえて、引き戻す。あごをすくい上げ振り向かせた目尻には、隠しきれない色がにじんでいた。チェイスと目が合ってすぐに逸らされるうぶな反応に、男をくすぐられる。


「昼間だから、なんだ? 俺はお前の絵を描こうとしただけなんだが。明るいところじゃやりづらいコトでも、想像したか?」


 瞬間、フィオの気がブワリと逆立つ。片手が大きく振り上げられた。これも夫の務めだろうと、チェイスはあえて拳を腹に受けとめてやる。

 誤算は、スナギツネがじゃれるようなものだと思ったが、雄ヤギの突進くらい重く決まったことだ。


「よめ、いい拳持ってるじゃねえか……っ」

「バカ! 変態! 最低!」

「わかった。悪かったよ。普通に寝そべるだけでいいから」


 怪訝な目でフィオは敷物を見やる。そのそばに置いてある画材に気づいたらしい。表情から険が取れて、まじまじとチェイスを見上げてきた。

 今度はチェイスのほうが気恥ずかしくなる。絵のことを知っているのは母レイラだけで、村の男たちにも話したことはなかった。


「絵を描くの? チェイスが?」

「悪いかよ。子どもの頃からの趣味なんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る