234 竜狂いの森②

「でも、どうしてそんなに急いでたの?」


 小首をかしげると、ココのみつあみにした横髪が揺れる。可憐な少女から顔を逸らして、ジョットは軽くまぶたを閉じた。心で名前を唱えれば、気配を遥か遠くにはっきりと感じる。


「大事な人に会いたかったんだ。その人ひどいんだ。俺と別れたとたん、危ない目に遭って。やっと会えると思ったら、また遠くに行っちゃった。ひとりで……」


 シャルルの暴走、キースの死を新聞で知った直後のことは、あまり覚えていない。昨夜少し夜更かししたこと、そのせいで寝坊したこと、ふかふかのベッドで寝たこと、ベルフォーレにいないこと、すべてを恨み怒りに駆られ、手当たり次第に物を殴った。

 そこからは一睡もしていない。眠気を感じなかった。昼夜を問わず移動して、ドラゴン便のライダーを脅して、賞金のすべてを使いきりベルフォーレに到着した。

 フィオの気配を辿りながら何度も呼びかけたが、返事はなかった。どこか虚ろで儚い彼女の存在といっしょに、テーゼの信じられない声が流れてきた。


「神様はなにを考えてるんだ。俺とあの人を会わせてくれてもよかっただろ」


 やめろ、と叫んだジョットの声に、テーゼは気づいていたはずだ。それでもドラゴンは時渡りを進めた。フィオにジョットの存在を知らせてはくれなかった。

 ふと、ひかえめに服を掴まれる。ココは大人びた表情でジョットを見上げていた。


「神様は対話はしない。ただ黙して人間を許し、私たちはその礼を供物をもって示すのみ」

「ココの一族は、代々神様に仕える巫女なんだろ? それでもわからないのか?」

「うーん。怒ってるとか、イライラしてる時はなんとなく」

「どっちも不機嫌な時じゃん」


 にやりと笑ってみせると、ココも噴き出して無邪気に笑ってくれた。日中は母とジョットの世話をし、月明かりの下で父の無事を祈る。健気な少女の安らかな顔を、ジョットはやっと見れたと思った。


「ジョットは、じゃあ、またその大事な人を追いかけるの?」


 ココがそろりと切り出してきたのは、最後の洗濯物を干し終わった時だった。ジョットは少しの気まずさを感じて、首裏をなでる。


「うん。できれば今日中に準備して、明日には出たい」

「明日……。もう行っちゃうんだね」

「ごめん。お礼したいけど、俺なにも持ってなくて……」

「ううん。お礼はいいの。でも、大事な人がどこにいるかわかるの?」

「わかるよ、俺にはな。どこにいたって見つけ出せる自信がある。だけど、もしかしたらあの人は、会いたくないって思ってるかも」

「どうして?」


 熱にうなされながらも、フィオと繋がる感覚は何度か感じていた。それはフィオが、ジョットを思い出しているのだと思っていた。けれどその時間はいつも短くて、交信までできた試しはない。

 力いっぱい念じたはずの声は、薄い膜のようなものに阻まれて響かなかった。

 フィオは意識してジョットを思っているのではなく、なにかを見た拍子に無意識下で、連想しているに過ぎないのかもしれない。彼女はジョットも時渡りしたとは夢にも思っていないだろうから、無理もなかった。

 それとも俺のことは、もう忘れたんですか?


「ほんと、勝手な人なんだよ。あの人は」

「ジョット。だったらもう少し――」


 なにごとかココが言いかけた時、少女の家から大きな物音がした。そろって振り返り、顔を見合わせる。互いに過った不安は同じだと直感した。


「お母さん!」


 駆け出すココにジョットもつづく。玄関をくぐると、木の実と皿が転がる床に、ココの母がうずくまっていた。荒い呼吸で腹を押さえている。


「水が、出たわ……」


 苦しげに母はつぶやく。破水だ。ジョットはすぐに気づいた。


「と、取り上げおばば呼んでくる!? お母さんだいじょうぶ!?」

「俺が見てるから呼んでこい! 慌てるなよ!」


 ココの肩を叩き、ジョットはまっすぐ栗色の目を見つめた。呼吸とともに、幾分かココに落ち着きが戻ってくる。少女はうなずくと、転がるようにして家を飛び出していった。

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