232 おやすみ

 できればレイラを頼りたかったが、さっきのケンカ見てませんでした? と聞きたくなるほどの笑顔で、チェイスの部屋に送ってくれた。

 こうなったらもう腹を括るしかない。


「そ、そりゃさっきの今でどの面下げて来たんだって思うだろうけど。でもね、あなただって悪いんだからねっ。あんな槍持ち出して、脅かさなくたっていいでしょ!」

「そうじゃねえ。お前が俺の元に戻ってくるのは当然だ。俺様の嫁だからな。聞きてえのはその腕に抱えてるものだ! なんでクソチビドラゴンまでいるんだよ!」


 抱き締めた小竜を見ると、ひなた色の目も見つめ返してきて、きょとんと首をかしげた。あの人なに怒ってるの? と声が聞こえてきそうな仕草だ。


「チェイスもおチビさんの友だちになったみたいだから」

「なった覚えはねえよ! さっき散々突き刺してやっただろうが!」

「全部避けられてたけどねー」

「ああ?」


 磨いたばかりの槍を手に立ち上がるチェイスを、冗談だと言ってなだめる。けれど本心は、あながち間違いではないと思っていた。

 チェイスは、小竜をかばったフィオを咎めなかった。出ていく背を止め、追撃しようとしなかった。

 小竜を見逃してくれたその心境は、一体どんなものだったのか。


「とにかく、嫁。その汚いチビは外に放り出して、こっちに来い」

「えー。かわいそうじゃん」

「その夜着を着た嫁を前に、俺様がどんだけ我慢強いられてると思ってんだ! お前がドラゴン持ってる限り抱き締められねえだろ!? かわいそうなのは俺だ!」


 チェイスは拳を壁に叩きつける。ちょっと引いた。一歩あとずさって距離を置く。

 レイラが用意した夜着は、動物の毛皮でできていて、淡い黄色の毛がもふもふと生えていた。ひざ丈の裾には太いしっぽと、フードには長い耳までついている。

 綿かなにか詰まっているのか、ごていねいにピンと立った獣耳を摘まんで、フィオは眉をひそめた。


「これ、なんの動物」

「スナギツネ」

「またあなたが考えたの?」

「そうだ。嫁が愛くるしくなる上に、抱いて寝れば防寒にもなる! 美しさと機能性を兼ね備えた俺様の自信作だ!」

「ちょいちょい変態くさいんだよなあ」


 フィオのぼやきは届かなかったようだ。チェイスは小竜を置いてこいと、忙しなく催促してくる。

 仕方ないとため息をついて、フィオは小竜を床に下ろした。チェイスが待つ敷物の前で立ち止まる。彼が腕を伸ばしてもギリギリ届かない距離。それがフィオの抱える戸惑いと、後ろめたさだった。

 どんなにチェイスが悲しみを負っていても、フィオは寄り添ってやれない。どんなにドラゴンが憎いと叫んでも、フィオは彼らを愛しつづける。

 なのに、夫婦ごっこをつづけるなんて、できなかった。


「チェイス、もう――」

「嫁」


 フィオの言葉を遮って、チェイスは手首を掴んできた。

 彼の腕は思ったより長かったんだな。そう思っているうちに、胸元へ引き寄せられ、たくましい腕が背中に回る。締めつける力はせつな、フィオの呼吸を奪うほど強かった。

 それがなぜか安堵をもたらし、人の体温はこんなにも暖かいものだったかと思い出させる。


「二度と俺に、自分を置いていけなんて言うなよ」

「え」

「そう言って死んだんだ。兄上も、父上も」


 耳に吹き込まれた声は、低くかすれた大人のものでありながら、癇癪かんしゃくを起こした子どものような、引きつれた悲鳴を帯びていた。

 一体それは、どちらが置いていかれたと言えるのだろう。

 生き残って得たものは、喪失と重い使命。父と兄が最期にくれた愛というなら、否定することも逃げ出すこともできない。

 フィオはチェイスの服をきつく握り締めた。


「ねえチェイス。あなた本当に戦いたいと思ってる? ドラゴンを殺したいと本気で思ってる?」

「ああ、思ってるよ。それが今、俺がここにいる意味だ」

「じゃあどうして、おチビを殺そうとしないの」

「今日は疲れたんだ。もう寝ようぜ」

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