231 孤独を聞かせて

 ふいに声をかけられ、思わず体が揺れる。見るとレイラがにこにこと佇んでいた。フィオが許すと、レイラはスカートの裾を摘まんで一段下りてくる。

 そこで彼女は固まった。ひざの小竜に気づいたようだった。なにも言わなかったが、フィオとレイラの間には子どもひとり分くらいの不自然な距離ができた。

 仕方ないとわかっていても、胸にチクリと刺さる。


「ごめんなさいね。さっきはチェイスがきつく当たってしまって」

「いえ。族長として責任のある彼には、無理もありません。私も少し、考えが足りませんでした。その、レイラさんにとってもお辛いことを思い出させてしまい、すみません」

「いいのよ。辛いのは私たちだけじゃない。みんな同じ痛みを抱えて、笑っているの」


 寂しそうに微笑んで、レイラは井戸の水面に目を下げた。耳元で輝石きせきの欠片らしきイヤリングが揺れる。

 強くて美しい人だと思った。愛する夫と息子のひとりを奪われてなお、周りを思いやれる。彼女のやさしさは、フィオとて例外にならない。

 レイラさんなら。フィオはもう一度だけ勇気を振り絞った。


「あの、レイラさんはドラゴンのこと、どう思っていますか……? チェイスのように、憎んでいるようには見えなくて……」

「怖いわ、もちろん。それに、憎んでいないと言えば嘘になる」


 でもね、と彼女は顔を起こす。フィオの腕にもたれて眠そうにしている小竜を見て、困ったように眉を下げた。


「それ以上に私は、戦って欲しくないの。チェイスにも村の男たちにも。もう誰も、傷ついて欲しくないのよ」


 そこまで言ってレイラはハッとうつむき、前髪をなでつけた。


「族長の母がこんなこと言っちゃいけないわよね。フィオさんが竜狂いだと知って、つい話しちゃったわ……。忘れてね」

「……小さな子どもから大人まで、誰もが相棒と呼ぶドラゴンと暮らしていて。背中に乗って飛び回ったり、いっしょに仕事したり、速さを競う競技大会に出たりしてる」

「フィオさん?」

「乗り手とドラゴンの間には特別な絆があって、お互いに喜びも悲しみもわかり合える。ドラゴンは家族、いや、自分の半身だと。それが当たり前の世界……未来があるのなら、レイラさんは」


 困惑したレイラの表情に気づき、口をつぐむ。どうしてこんな話をしているのか、フィオにもわからなかった。

 ただ、族長の母として本音を言えないレイラの孤独が、この胸をうずかせる。失望や無力感が、虚しさへと変わっていく。

 ああ。私も今、ひとりぼっちだ。


「言って」


 突然、腕を引かれてフィオは驚いた。近づくレイラの眼差しは、いつになく緊張をはらみ手は震えている。小竜がちょっと頭を上げれば、角が触れる距離だった。


「その先の言葉を言ってみて欲しい」


 秘密を打ち明けるささやき声に、力が抜けていく。レイラならここで話したすべてを、暗い井戸の底に沈めておいてくれると思った。


「そんな未来があるとしたら、レイラさんは望んでくれますか」

「望むわ。きっと今より、豊かな毎日になるでしょうね」

「ええ、きっと……っ」


 目に込み上げてきたものを、フィオは深呼吸で堪えた。まだ早い。まだなにも成し遂げていない。心に呑まれるのは、シャルルとキースを救えたと確信できた時でいい。

 グッと噛み締めた唇は、しかし、起き上がった小竜に舐め回されてゆるんだ。仰け反っても追いかけてくる姿は、使命感さえ帯びている。フィオは親竜に世話されるひなの気持ちを、味わわされた。




「いい度胸だな、嫁」


 研ぎ石で槍を磨くチェイスににらまれ、フィオは手をぎゅっと握り締めた。

 階段井戸でべたべたにされたフィオは、ちょうどいいとレイラに言われ沐浴した。その足で彼女の部屋に向かう頃には日が傾いていて、渡された着替えは夜着だった。

 正直チェイスと顔を合わせるのは気まずい。しかしこんな時間から、足を引きずってベルフォーレに向かうほど、フィオは命知らずでもない。

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