227 vs複眼の翼竜①

「そこを動くな!」


 白くなりかけた頭に声が割って入った。同時に、空を切り裂く音がして、背後にあったドラゴンの圧迫が消える。

 振り返ったフィオは、地面に突き刺した槍を軸に、ドラゴンへ回し蹴りを見舞う男を見た。


「チェイス……!」

「追いかけてきたわけじゃねえ。槍持って散歩してただけだ」


 ちらと向いたチェイスの顔は、むっすりしていた。


「帰ったらたっぷり仕置きだからな。だがまあその前に、ドラゴンの丸焼きを食わせてやるよ!」

「あ、待って待って!」


 槍を抜き、威勢よく走り出すチェイスを、肩かけ布を捕まえて止める。大きく仰け反った族長は、カエルのような鳴き声をもらした。


「ドラゴンに攻撃しちゃダメ。傷つけちゃダメ。視線を外して武器を下ろして」

「嫁、俺様に死ねって言ってるのか!?」

「その状態で避けるの! 村一の武芸者ならできるでしょ」

「おまっ、簡単に言うな!」

「お願い! 私に時間をちょうだい。無理だと思ったら、私を置いてってくれていい!」


 チェイスの肩が震えたように見えた。槍を握る拳がギリリと鳴る。

 そのわずかな音にさえマティ・ヴェヒターは殺気立ち、怒りを剥き出して鋭く吠える。


「この益荒男ますらお色男のチェイス様に、しっぽ巻いて逃げろだって……?」


 翼腕の爪で地面を掻き、今にも飛びかかりそうなドラゴンを前に、チェイスは槍を手放した。木製の柄がカランと音を立てる。

 とたん、マティ・ヴェヒターの眼が不思議そうに瞬いたのを、フィオは見逃さなかった。


「嫁ひとり守れねえような長なら、ここで死んで侘びてやる! 石の民が族長チェイス! 正々堂々勝負だ! かかってきやがれコウモリドラゴン!」


 指を突きつけながらも、チェイスは律儀に顔をうつむけていた。そのちぐはぐな言動に圧されたか、ドラゴンは奇妙なものを見る目つきで、二の足を踏んでいる。

 手応えを得て、フィオの手足に力が戻っていく。あたりに散らばる花穂を急いで掻き集めた。


「ありがとうチェイス! あなたのことは、私が絶対に死なせないから!」


 さっきつまずいた石が、ほどよい大きさだった。その上にシッポ草を乗せて、もうひとつ小振りな石を探す。だが、ない。地面に転がっているのはどれも小さ過ぎる。

 マティ・ヴェヒターが吠える。よだれ滴る牙を剥き、噛みついた。チェイスは飾り布をひらめかせて、軽やかに避ける。伸び上がってきた首は半身をひねって、振り抜かれた翼腕は前転を駆使して、服の端さえ捕らえさせない。

 頭部の重さを利用しくり出された尾のなぎ払いに、チェイスは赤土を蹴立てて跳躍した。肉を裂き、骨まで届くだろう凶刃の上を、くるりくるり鮮やかに舞う。


「すごい……」


 チェイスの強さはけして口先だけではない。現代の竜騎士だって到底マネできない身のこなしに、背筋がぞくりと震える。

 けれどそれだけではないと、フィオは感じていた。マティ・ヴェヒターには迷いがある。チェイスが反撃せず避けるごとに、爪や牙の冴えが鈍くなっていた。


「いける……今ならきっと! 早く石をっ」


 荷物にしかならない足を引きずり、フィオは這った。草根を分けて適当な石を探す。

 まるで耳の中に心臓があるかのような、焦りの音に突き動かされ、奥の草むらに手を伸ばした時だった。草のほうから左右に開き、小竜が顔を出す。その口には拳ほどの石をくわえていた。


「天才! いい子! あ、ちょっと? 貸してね? こらこら、遊んでる場合じゃないって!」


 思わず石をグイと引っ張ったのがよくなかったのか、小竜もグイと引き戻してきて、しばし攻防した。

 なんとか貸して頂いた石を手に、シッポ草の花穂をすり潰す。乾燥させたものと違って鎮静効果はない。狙いは汁だ。ほんのり甘く香り粘つく出液。それを取り出すため、フィオは全体重をかける。

 手のあちこちが切れていた。摘んだ時にできたものだ。石に引っかけた爪が割れる。突起が刺さる。緑の汁に混ざる赤。痛い。でもやめない。

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