224 それが命の営み
静かに目を見開き、息を詰める。フィオが身を強張らせたとは、露とも知らない男の腕をほどいた。不満をこぼし、追いかけてくる手をいなして、今度はフィオから懐へ踏み込む。
「身を守ろうとするのはわかる。けれど、殺すのはやめませんか。このままでは、人とドラゴンの無益な争いは、千年先も終わらない」
「布教活動か。夫婦の時間にそんな話は聞きたくない」
チェイスの目には、みるみる影が差していく。逸らされた視線の先に、フィオはすばやく身を割り込ませた。急に止められた杯が、ちゃぷんと冷えた音を立てる。
「戦わなければ、犠牲を払うこともない。女性と子どもたちはお腹いっぱいごはんを食べて、村はもっと豊かに発展する。ドラゴンと共生する道を考えてみて欲しい」
「……さっき無益だって言ったか」
「無益だよ。ドラゴンは高い知性を持ってる。人と同じくらい社会性があって、他者を思いやることができるの。攻撃しなければ襲ってこない、必ず! ドラゴンと戦わなくたって、ともに生きていけるんだよ!」
「お前はっ、今まで村のために死んでいった者たちの命を無駄だと言うのか!」
弾ける音が床石を叩く。飛び散った白濁の水が、フィオの足、腕、胸元までを濡らした。砕けた杯の欠片が服に引っかかっている。それを取ろうとしたフィオの手を掴み、チェイスは歪んだ唇から八重歯を剥く。
「てめえの言う通りやつらは
「違う! 私たちが彼らに怯えているように、彼らも私たちに怯えているだけ! 自分の身を守ろうとしているんだよ! あなたたちだって守るために武器を使うでしょ!?」
「笑わせるな。やつらに怯えやためらいなんてない。一瞬だ。一瞬でやつらの牙は頭を噛み砕き、爪は首をひねり潰す。そうやって殺された仲間を、俺は何人も見てきたんだ……!」
ハッと気づいた時には、骨張った男の手がフィオの首にかかっていた。引き剥がそうともがくものの、食い込む指に気道を圧される。酸素を求めて口を開くフィオを、チェイスはここではないどこかを映した目で見下ろしていた。
兄の命を奪った鈍い音がよみがえる。フィオの皮ふを食い破りながら、シャルルは涙を流した。小竜は自分の痛みよりも、フィオの痛みに寄り添ってくれた。
「それでも、ドラゴンに、は、心がある……! 痛いんだ、よっ、人間と、同じように……! 声に出さなくても、痛いって叫んでるんだ……っ!」
瞬間、息もできない力が首に伸しかかった。フィオは意識がくらむのを感じながら、床に投げつけられる。
中天過ぎ、世界が最も光に満ちる中、チェイスの影が覆いかぶさってくる。
「それがどうした。痛いのは当たり前だ。それが命の営みだろ。お前が食べたヤギだって、痛かっただろうよ」
「あ……」
「だが俺は、石の民は、ドラゴンの朝飯になるつもりはねえ」
後頭部へ差し込まれた手に、首を倒される。供物のようにさらされた首筋に、チェイスの顔が埋まった。
だ液をまとった舌が這い、舐め上げられる。ひくりと跳ねた下半身は、チェイスの体に押さえ込まれていた。塗り広げられるだ液の冷たさに肌を震わせながら、フィオは目の前の肩を押しやる。
「やめ、てっ」
「お喋りの時間は終わりだ。ドラゴンのことよりイイコトを、お前の体に教えてやる」
髪をなで回しながら下りてきた手が、首裏の結び目を引っ掻く。
「フッ。そんな怯えるな。婚礼前に食ったりしねえ。味見するだけだ」
首のひもがほどかれる。慌てて服を押さえるフィオを、チェイスは暗い笑みの浮かぶ目で見ていた。と、その目が胸元で止まって片眉をひょいと上げる。
「ずいぶんときらびやかな装身具だな」
はだけた服からチェイスがすくい上げたのは、ガラスのロケットペンダントだった。
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