222 夫婦の語らい?②

 青い毛先から垂れる水を、首を振って飛び散らし、チェイスは髪を掻き上げて笑う。みるみる濡れて色が変わっていく床に、フィオはつい詰め寄って文句を言っていた。


「なにやってんの!」

「なにって、汚れ落としてきた」

「ウソだ! こんな短時間で! 水かぶってきただけでしょ! 拭くものは!」

「こんなのすぐ乾く」


 ため息をついて、フィオは裏庭に出る。そこには今朝使った綿布がひもにかけられ、風に揺れていた。

 それを掴み、チェイスの頭にかぶせてやる。「冷てえっ」と文句が上がった。


「いいからそこ座って」


 チェイスは素直にあぐらを掻いた。布に手をかけ、下から上へすくい上げるように拭いていく。元々湿っていた布は、あっという間に飽和した。

 少しでも乾いているところを探して、また拭く。自分より大きな男の体と頭を見ていると、シャルルを洗っている気分になった。


「まったく。いい大人のくせに、こんな子どもみたいなことして。レイラさんに呆れられるよ?」

「ふふっ」


 突然笑い声が転がってきたかと思えば、手の中の頭がこちらへ傾いた。肩をおかしそうに震わせながら、チェイスは手探りで綿布を引っ張る。

 ばさりと覗いた彼の顔は、少年のように無邪気な笑みで満ちていた。


「くすぐったいな、嫁に世話をされるのは。お前が待っていると思うと、ゆっくり沐浴なんてできなかった」


 所在なく宙に浮いたままのフィオの手を取って、チェイスは指先に口づける。


「許せ」


 青い目がひたと見上げてくる様は、横柄さが鳴りをひそめて、この自惚れ男に懇願されている錯覚を引き起こす。

 惑わされたフィオの耳に熱が灯った。手も熱い、と思ったらチェイスに掴まれたままだと気づき、慌てて振り払った。


「か、体は自分で拭いて!」


 そう言ってチェイスを突き放したつもりだが、だったら頭も拭いてやることはなかったのだと我に返った。自分の甘さと、ちっとも進まない脱出計画に苛立ち、髪を掻き乱す。

 だがふと、自分の手に目を留め、次いでフィオは体を拭いているチェイスを見た。


「手、縛らないの」

「これから飯なんだ。邪魔だろ」

「じゃあ、ごはん食べたら縛るの?」

「そのあとは談笑。拘束するなんて無粋だ」

「でも」

「縛るのはお前が逃げないようにするためだ。俺の目が届く昼間は必要ない。言っただろ、お前の心を俺様に向ける。それは恐怖や支配じゃ意味ないんだよ」


 部屋の隅の木箱からチェイスは着替えを見繕う。服さえ着ていない無防備な背中が向けられる。フィオはそれを静かに見つめていた。


「はあい、お待ちどおさま。たくさん食べてね」


 運ばれてきた鍋には、密色のスープが湯気を立てていた。たまねぎ、にんじんの根菜に混じり、ぷっくりした緑の豆のようなものも浮かんでいる。なにより存在を主張するのが、四角く切られたヤギ肉だ。

 スープを深い器によそったレイラは、すぐに立とうとする。フィオが引き止めると「うふふ」と笑って下がってしまった。

 気を遣われているようでものすごく居た堪れない。


「なんだ、ヤギ一匹じゃ足りないか。明日は魚も獲ってこようか」

「足りますってば! どんだけ食べると思ってるの!?」


 冗談だとチェイスは言うが、フィオは笑えなかった。肉入りのスープなんて、避難した石の民の女性と子どもは食べられないかもしれない。そう思うと、どんな顔をすればいいかわからなかった。

 チェイスから催促され、フィオは器を持つ。最初は器に口をつけて、スープをひとくち。根菜の土とひなたの香りが鼻腔を抜け、深い甘味が広がる。のどを伝った熱がじんわり胸に下りると、思わずため息がこぼれた。


「あったかい」


 野菜にしては甘味が強いと感じたが、なるほど、緑の豆はグミ草だ。熱を加えられ、果肉がとろとろに溶けている。

 その密がたっぷり染み込んだヤギ肉のやわらかいこと。舌に乗せただけでほろりと崩れ、脂の甘味と旨味がのどへ雪崩れ込んでくる。臭みはグミ草が打ち消していた。

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