221 夫婦の語らい?①

「お水冷たいから、ゆっくり入ってね」


 同性とはいえ、見られながら服を脱ぐのは落ち着かなかった。フィオは自分を抱えるように体を隠し、レイラの忠告通りゆっくり足を浸ける。胸元まで水が来るように、階段をひとつずつ下りた。

 ちょうどこの位置だったな、と対面の岩肌を見やる。グリフォスに連れられて、神殿の内部に入った横穴は、今はない。その奥でフィオは、神となった歴代の長の棺と壁画を見た。

 私によく似た壁画の女性、あれは私だった?


「フィオさんの背中、とってもきれいね」

「そ、そんなことないですよ。傷もありますし」


 肩から首にかけてうずく、シャルルの噛み傷を押さえる。

 グリフォスが壁画を『族長チェイスの妻という見立てだ』と言っていたことを思い出す。フィオはますます胸が騒めき、ひざを抱えた。


「気にすることないわ。何年かすれば目立たなくなるわよ。背中、流してあげるわね」


 綿布をあてられ、体が勝手に逃げ出そうとした。傷に障ったのではない。レイラのやさしい手が怖いと思った。

 帰れなかった自分の姿が、あの壁画なのかもしれない。

 現代に帰る方法は、この時代のテーゼに送ってもらうことだ。しかしテーゼはそれを口にしなかった。つまり彼女も友好的とは限らないのだろう。

 時渡りは命を削る。そんな危険を冒すに値する人間だと認められなければ、フィオはここに留まるしかない。

 岩の民族長チェイスの妻。遺跡の壁画は、フィオのひとつの未来を啓示していた。


「フィオさん、沐浴のあとはお着替えよ。とびきりかわいくして、チェイスを驚かせましょうね」

「……へ?」




「嫁えっ! ずいぶん色っぽくなったな! さすが母上と俺様だ!」


 ヤギの死骸を担いで帰ってきたチェイスに、フィオは悲鳴を上げた。血を滴らせ、悪臭をぷんぷん放ちながら近づかれ、思わず着替えたばかりの服をかばってあとずさる。

 レイラが用意したのは、首裏のひもだけで支える、背中が広く開いた服だった。下はパンツだが、サンドイッチのように二枚の布で足を挟んで、数ヶ所をひもで留めているだけだ。

 千年前の大地を闊歩かっぽしても、怪しまれない服装になれると思ったのに、これなら病衣のほうが数倍マシだった。


「なんなのこの服!? 絶対普段着じゃないでしょ!」

「踊り子の衣装を参考に俺様が考案、母上が製作した嫁専用普段着だ。他にもいくつか用意してある。いつ理想の嫁と出会ってもいいようにな!」

「無駄に器用なことを……!」

「その服を着た嫁と語らうのが、俺の夢だった。さあ嫁! 俺の部屋に行くぞ!」

「チェイス」


 フィオの肩を抱いたチェイスを、白魚の手が止める。レイラは息子ににっこりと笑いかけ、ヤギの角をむんずと持ち上げてみせた。


「まずはこれを下ろして、汚れを落としてからにしなさい。その間に調理しておいてあげるわ」

「そうだった。母上、頼む。嫁、お前は部屋で待ってろ!」


 ヤギを母に託し、チェイスはレイラの部屋から飛び出していく。「私は朝食を作るわね」と言って、レイラもヤギを引きずりながら調理場へ向かった。

 それぞれが、それぞれの方向にマイペースな母と子だ。ある意味親子らしい。


「ハッ。今逃げられるじゃん! すみませんレイラさん、ヤギはふたりで食べてください!」


 フィオはチェイスの部屋に急いだ。小竜を残してはいけない。朝隠れていたつぼを覗き込む。


「あれ、いない」


 敷物と毛皮の上着をまくったが、やっぱりいない。少々不安ながら小竜の気配を探ってみた。するとかすかに、頭頂部の髪をつんつん引かれるような心地がする。

 なるほど、屋根か。


「待たせたな! 嫁!」

「は……はあああ!?」


 あり得ない声が背中にぶつかってきた。フィオは振り返って目を見開く。下着だけを身につけ、頭からつま先までびしょ濡れのチェイスが戸口に立っていた。

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