220 新しい友だち③

 花穂に沿って剣のようにまっすぐ伸びた葉の間から、小竜が顔を出す。口にはしっかり角笛をくわえていた。


「それが気に入ったの? それともお腹すいてる? 私なにも持ってないよ」


 目が合うと小竜は小さな翼で飛んできた。角笛を途中で放り出して、浮遊したままフィオの顔をまたよだれまみれにする。

 ずいぶんと懐かれたようだ。右後脚の少しゆるんだ布を見て、フィオは苦笑する。人間といることは小竜にとって危険だ。けれどこの小さな存在が、フィオに勇気を与えてくれる。


「おチビさん、ちょっと力貸してくれる? この縄を切って欲しいんだ」


 フィオは小竜に背を向け、縛られた手を振ってみせた。不思議そうな声が返ってくる。小竜は前へ回ってきて、フィオの顔を見上げた。「なんて言ったの?」と問われているようにも、「ねえ遊ぼうよ」と誘われているようにも見える。


「うーん。やっぱり難しいかな。ねえ、この縄だよ。これを噛みちぎって」


 ダメ元でもう一度お願いしてみる。

 すると小竜はにおいを探りはじめた。フィオの手に濡れた鼻先が当たって、手首に巻きついた縄がグイと引かれる。


「わっ。その調子! がんばって!」


 グッ、グッ、と勢いをつけて引っ張る小竜に、フィオも負けず前へ力を込めて踏ん張る。やがて縄がよれて、締めつけがゆるんだ。興奮気味の小竜を遠ざけて、手首をひねり隙間をこじ開けていく。

 ようやく拘束から脱した手首は、赤くすり切れて血がにじんでいた。


「そっか。血のにおいに反応してくれたんだね。いい子」


 頭をなでようとした手をかわして、小竜は傷をぺろぺろ舐めた。

 だ液には確かに治癒効果もあるが、雑菌の入る危険もあり、褒められた治療法ではない。そうと知っていても、フィオはやめさせようなんてちっとも思わなかった。


「よし。あなたもいっしょに出よう、おいで」


 シャルルの角笛を首にかけて、フィオは小竜と連れ立った。すだれから顔を出し、廊下に誰もいないことを確認する。レイラと鉢合わせすることを恐れ、玄関には回らず、渡り廊下から家の裏手へ出た。

 とたん、ひと際冷たい風が足首をなでていく。ケープが風の行方を追って舞い上がった。庭の奥から風鳴りのような音が聞こえてくる。


「おはよう、フィオさん。あら?」


 奥の家屋へつづく渡り廊下に、レイラの姿があった。彼女はなにか気づいた声を上げ、困ったように微笑む。


「白ネコちゃんがいたのね。ごめんなさい。私に驚いて逃げちゃったわ」

「え。あ! お構いなく」


 白ネコは小竜のことだ。しかしフィオが慌てて見回した時には、どこかへ消えていた。レイラは布を抱え、廊下から逸れてまっすぐフィオの元に歩み寄ってくる。


「今あなたのところへ行こうとしてたの。チェイスから沐浴もくよくのお手伝いを頼まれてね。さあ、こっちよ」


 ゆるりと腕を引かれて、フィオはようやく脱走現場を押さえられ、今捕まったのだと気づいた。

 どこか期待のこもったレイラの目に、頭を抱えて悶える。純粋な厚意を振り切って逃げ出すことは、良心が痛んだ。

 その姿をどう捉えたのか、レイラはころころと笑う。


「だいじょうぶよ。ここには井戸があってね、お水には困らないの」

「井戸……」


 再び冷風が吹いて、低い風鳴りがフィオを奥へと誘う。レイラの腕に導かれるまま、フィオは歩き出していた。


「階段井戸だ」


 大地にはぽっかりと四角い穴があいていた。現代で見た時と同じ、壁面から掘り出されたいくつもの階段が交差して、幾何学模様を描いている。底に溜まった水は千年後よりも多いようだ。


「フィオさんの村にもあるのね。そういえば、どちらからいらしたのかしら?」

「……すごく遠くです。ずっと遠くの、森から」


 レイラに答えながら、フィオは対面する壁に目を向けた。現代ではそこにアーチ状の窓や柱の連なる廊下、小部屋なども造られていた。しかし今は、剥き出しの岩がそのままになっている。

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