219 新しい友だち②

 ひとりじゃない。

 まだ僕がここにいるよ。

 そう伝えるかのように、小竜はフィオの口を舐めつづける。グッと引き結んでいた唇が、堪えていた息といっしょにほどけた。

 とたん涙が込み上げてきて、鼻の奥がツンと痛む。頬を伝った涙が舌に触れて、小竜は顔を引いた。


「違う、よ。悲しいんじゃない。伝わるかな、あなたにも……っ」


 フィオの相棒ドラゴンは、現代にいるシャルル一頭だ。似た魂と出会ってもそれは変わらない。互いの気持ちを共有するのは、きっと難しい。

 けれど、特別な繋がりなんていらなかった。目と目が合えば感じられる。フィオと小竜の間に結ばれつつある、ひと筋の糸を。


「ごめんね。ちょっと弱気になった。もうだいじょうぶ。私が守るって言ったんだ。めげてちゃダメだよね」


 相変わらず小竜はきょとんとしていた。居心地悪いだろうに、四肢を畳んでフィオとチェイスの間に収まっている。だけどしっぽはチェイスの顔に乗っていた。


「怖くないの? その男の人」


 じっとフィオを見つめたまま、小竜のしっぽが持ち上がった。その先端がしなって、ぺしりとチェイスの額を打つ。

 フィオは息を呑んだ。が、チェイスはうっとうしそうに顔をしかめただけだった。なにごともなかったように安らかな寝息が流れる。


「勇ましいのか、怖さより嫌悪が勝つのか。でも、襲わないんだね?」


 問いかけても答えが返ってくるはずもなく、フィオはまあいいかと片づけた。小竜の様子はおだやかで、チェイスに仕返しに来たとは思えない。ひと通り満足すれば帰るだろう。


「ねえ、あなたは竜狂いって人たちに会ったことがあるかな」


 返事の代わりに小竜は大きなあくびをこぼした。無防備な姿はフィオの心をほぐしてくれる。

 だが眠気が訪れる気配は一向になく、フィオは長い夜を思考で潰す。

 チェイスの口振りから、竜狂いと呼ばれる人々は森に住んでいるらしかった。彼らはドラゴンを神聖な存在として崇めているという。さらにチェイスが反応したケープ。これはミミの祖母が貸してくれた、ロワ・アンティーコトラヴァーを守る巫女の一族のものだ。


「テーゼはこの時代にもいる。ベルフォーレの森に。そこにはきっとミミたちの先祖が暮らしているんだ。会えれば力を貸してくれるかもしれない」


 フィオはチェイスを盗み見た。口からよだれを垂らして、よく寝ている。人竜戦争の中心人物である彼のことは気がかりだ。しかし手を縛られたままではなにもできない。

 道中の不安もあったが、フィオは明日チェイスが狩りに行っている間に、村から抜け出そうと決意した。


「え。ここで寝ちゃうの?」


 気づけば、小竜は前脚を枕に目を閉じていた。チェイスの寝息と重なって、フスフスと鼻息が響く。昼間は武器を構え、にらみ合っていたふたりだとはとても信じられない。


「こうして見ると、人もドラゴンも寝顔は同じだね」


 互いの呼吸を子守唄にして、揺りかごは分け合った体温に満たされている。月の羽衣に照らされた顔は、等しくあどけなかった。

 不思議なくらいおだやかな空間は、けれど当人たちだけ存在を知り得ることはない。

 儚く脆い平和を守るように、フィオはじっと息を殺して見つめつづけた。




「行ってくるからな、嫁。待ってろよ」


 かすかに額をなでられる感触がして、フィオはハッと目を覚ました。明け方になって少し眠っていたようだ。隣にチェイスの姿はない。小竜もいなかった。

 窓の向こう、白みはじめた空を見ながら、フィオは体をどうにか起こす。


「おチビさん。おチビさん。ちゃんと帰れたのかな」


 騒ぎになっていないということは、うまくやったんだろう。そう思った時、後ろから小動物の鳴き声がした。

 振り返ると、つぼに挿してある植物がさわさわ揺れている。キツネの尾のように太くて長い白の花穂をつけた植物だ。


「シッポ草。村の周りにも生えてた。この時代からあるんだな」

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