218 新しい友だち①

 かすれた声が耳に吹き込まれる。フィオは身を仰け反らせたが、背中に回った腕に阻まれ、大した意味はなかった。

 最初に浮かんできたのは、キースの顔だ。涼しい顔立ちで、でも時折とてもやさしい笑みを見せる。しかしその笑顔は、にわかに無機質な死に顔へ変わった。


「ちがう」


 急いで思考を散らすと、次に現れたのは父オリバーだった。アイスを落とさないか心配し、手を繋いでくれた父の微笑みが、炎に呑まれる。


「ちがう、ちがう」


 否定すればするほど、転写絵の中の母や、牙を剥くシャルルの顔が雪崩れ込んできた。

 愛ってなに。

 生まれてきたことに意味はある?

 なぜ苦しみながらも生きていくの。

 もう誰もいない。私にはなにもない。待っている未来なんて、どうせ。


――やっと、みつけた。


 唐突に声が耳によみがえった。フィオの胸に懐かしさがじわりと広がる。

 これは誰の声だったか。記憶を探っていると、心の琴線をちょんと引かれる心地がした。


「えっ。あれ?」


 いつの間にか部屋はすっかり闇夜に包まれていた。窓から月明かりが差し込んでいる。街灯がない分、それは現代よりも堂々としていた。寝入ったチェイスの顔もほのかに見える。


「今の感覚ってシャルルか、ジョットくんの……」


 だが、そんなはずはない。ふたりが千年前に存在しているなどあり得ない。

 そう思いながらも、フィオの目は闇夜を探った。風に揺れる灯のように、途切れ途切れの儚い感覚を辿って、窓に行き着く。

 建物の黒い影、その上に藍色の夜空が見えた。風でも吹いたか、濃い物影がかすかに動く。


「ん?」


 影はにょきにょきと登ってきて、藍色の空にかぶった。黒い裾が窓枠から中へ少し垂れていることに気づき、フィオはようやくそこになにかがいると息を呑む。


「くるる、くるる」


 のどで声を転がしたような音が静かに響き、影は左右に勢いよく伸びた。そして一度沈んだかと思うと、まっすぐこちらへ飛びかかる。


「わ、んうっ!?」


 こぼれそうになったフィオの悲鳴は、顔に張りついてきた影に塞き止められた。鼻がやわらかいものに埋まり、人よりずっと高い体温が伝わってくる。

 しきりに頭上でのどを鳴らしている生物は、頭でもすりつけているのか、フィオは髪が乱されるくすぐったさに首をすくめた。


「あー、この感じはもしかして、昼間のおチビさん?」


 さすがに近過ぎてなにもわからず、フィオは首を振って離れるよううながした。頬を踏み台にされつつ、その生物は枕元を回ってフィオとチェイスの間に割り込んでくる。

 ほのかな月の光が、小さなドラゴンの姿を照らし出した。白の体は淡い銀色に染まり、右後脚の血のにじむ布だけが異彩を放っている。金の目にフィオを映して、小竜はうれしそうに頬ずりしてきた。


「帰るんだよって言ったのに」


 叱りつけようとした声は、まったくその音色を保てなくて、あっけなく笑みがにじむ。フィオからも顔をすり寄せると、あごに硬いものが当たった。

 見れば小竜は、シャルルの角笛をくわえていた。


「そうか。これを届けて、くれ、に……」


 チェイスたちとのいざこざで忘れてしまった角笛と、小竜とを見比べる。小さな頭に生えているのも、クリスタルのように輝く青い角だ。

 いや、こんなのは偶然だ。しかし先ほど感じた意識を引かれるような感覚。それを追った先にいた小竜。そして、人間と敵対しているにも関わらず、フィオに懐く姿。


「あなたはもしかして、シャルル……?」


 小竜は無垢に首をかしげた。


「シャルルの前世……似た魂を持った存在、なのかも。ドラゴンは魂で人間の相棒を選ぶって。それが本当なら、シャルルと似たこの子と繋がりが持てるのも、わかる」


 ぼそぼそ動くフィオの口が気になったのか、小竜は角笛を放して口周りを舐めてきた。

 その姿が幼体だった頃のシャルルと重なる。甘えたで触れ合うことが好きで、学校までフィオのあとをついてきた。

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