217 嫁宣言②
「ヒルトップ村では常に食料不足に悩まされてる。畑を耕しても家畜を飼っても、ドラゴンに荒らされるからだ。俺たちはその度に何度も、破壊された村を建て直してきた」
ハタと思い至る。フィオの目に村の建物が新しく映ったのは、歴史を積み重ねていないからではない。いつもドラゴンに壊され、いつも新築だからだ。
族長の家が、他の民家と変わらず簡素なのもうなずける。豪華な遺跡屋敷を建てたところで、骨を折るだけなのだ。
「だが結局いたちごっこだ。女たちは、自分たちは戦えないからと食料を男たちに回して、みんなやせ細っている。最近じゃ小さなガキまでっ」
水音が大きく跳ねた。その音でチェイスは幻影から覚めたように、目を瞬かせる。十分汚れの落ちたフィオの足をひざに乗せて、
「情けねえこと言ったが、心配するな。嫁にはたらふく食わせてやる。安心して太れ」
「……嫁になるつもりはない」
今ここに生きる人々の苦しみと痛みが、フィオの声を詰まらせた。チェイスは「どうかな」と笑って、フィオの髪をなでる。
「邪教の民は一途だ。そうだろ? 崇める相手さえ間違えなければ、その情熱とひたむきさは悪くねえ。お前の熱い信仰心をドラゴンから奪って、チェイス教に改宗させてやるよ」
「なにそれ」
気づけばフィオは笑っていた。まったくそんなつもりはなくて、自分でも驚いた。
最後に笑ったのは、ミミとお茶をした時だろうか。キースを失い、シャルルを失い、夢と存在意義は砕け散った。自分の中にそんな感情は、もう残っていないと思っていた。
「いいな。女は笑ってるのが一番だ」
おだやかにチェイスも表情をゆるめる。ふと、肩を押されてフィオは敷物に倒れる。いっしょになってチェイスも隣に寝そべってきた。
「なに、なに」
「寝るんだ。日が落ちてきたからな」
くり貫かれた窓は、太陽の残り火で赤々と燃えていた。その光が落とす影は、刻々と濃くなっていく。現代には当たり前にある発光石の照明が、この部屋にはない。日没したら真っ暗だ。
と、考えていたフィオは、伸び上がってきたチェイスに押し潰された。
「重い! というか痛い! 私怪我人なんですけどっ」
「あ、悪い。忘れてた。明日狩りに行ってやるよ。食って寝れば治る」
チェイスの目当ては、隅に畳まれていた上着だった。なにか動物の毛皮でできていて、肩にかけられるとあたたかい。布団の代わりでもあるらしい上着ごと、チェイスはフィオを抱き締めた。
敷物が大人ひとり分しかないことはわかるが、近過ぎる。相手の吐息が頬に当たる距離だ。フィオは抗議の目を向けたが、チェイスは満足げだった。
「おやすみ、嫁」
「狭いんですけど」
「夫婦なら
「どうしても嫁扱いするなら、これはないんじゃないの」
ため息をついて、フィオは縄をギシギシ鳴らしてやる。薄闇の中、チェイスは余裕の表情を崩さなかった。フィオの輪郭を指先でなぞって、吐息で笑う。
「俺はバカじゃない。嫁の気持ちがどっちを向いてるかくらいわかってる。そいつを外すのは、お前から俺に抱きつきたいと思った時だ」
「だから、そう言ってるんだけど?」
彼の目がぱちくりと瞬く。少し身を起こして、上からフィオを凝視した。それに応えてフィオもまっすぐチェイスを見つめる。
だが次の瞬間チェイスは噴き出して、ひくひくとのどを震わせながら肩にあごを乗せてきた。
「お前賢い女だな。ますます気に入った」
内心でフィオは舌打ちする。油断させる作戦は失敗だ。むしろ状況を悪化させた。チェイスが足を片方、フィオの足に巻きつけてくる。
「重い! うざい! 離れて!」
「やめとけ、やめとけ。抵抗しても、お前が俺様のもんになった時の想像が楽しくなるだけだぜ」
「言ってれば。私、あなたみたいに自惚れた男嫌いだからあり得ないけど」
「ふうん? じゃ、どんな男が好みだ?」
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