214 石の民 ヒルトップ村①

 ふいに、フィオの腹に食い込む肩が揺れる。会話を聞いていたのか、チェイスはこの乾いた大地と晴天のように笑った。


「まあ、村へ行く途中に軽い坂があるからな。運び方はこれで我慢してくれ」


 男の大胆さと朗らかな笑みが、常なのか希なのかフィオには知る由もない。今は坂を上る気力も体力もないから、黙して応えてやることにする。

 ちらちらとフィオとチェイスを見ながら、こそこそ話している男たちがうっとうしかった。

 その彼らの後方。荒野にぽつんと立つ古木が、風にさらされている。赤土が舞い上げられた時、小さな白い影が岩の向こうに消えていった。




「坂って言ったじゃん」

「ああ」

「軽いって言ったじゃん」

「言ったな」


 それがなにか? とつづきそうなチェイスの返答に、フィオは青筋を浮かべる。

 彼が言っていた坂は階段だった。軽いとはかなりひかえめな表現で、一段一段が一メートルはあるかという壁な上に、空を見ればそのままひっくり返るほどの勾配だった。

 もはや崖だ。それをこの男は、ひょいひょい飛びながら駆け上ってくれたのである。ろくに掴まるところもないフィオを担いだまま。


「いつか絶対同じ目に遭わせてやるから覚悟しとけ……」

「あ? なに怒ってんだよ」


 脳みそを振り回されて吐く寸前のフィオと違い、チェイスの息はもう落ち着いている。現代人より遥かに丈夫な足腰が羨ましくて、妬ましくて、フィオは目を閉じて無視を決め込んだ。


「チェイス様、おかえりなさい」

「族長、見回りお疲れさまです」

「ご無事でなによりです」

「肩に担いでいるのは、人間ですかい?」


 まぶた越しにさわさわと人が集まってくる気配を感じた。親しみ、安堵、敬意のにじむ声が、次々とチェイスを迎える。

 民に慕われる器はあるようだ。少なくとも怖がっている声は聞こえてこない。しかしフィオは、ひとつの違和感を抱いた。


「ああ、こいつは行き倒れだ。まだ息があるようだから、俺のところで面倒みることにした」


 いけしゃあしゃあとチェイスは答える。勝手なことを言われるのは不満だが、この時代は右も左もわからないのだから、行き倒れと変わりない。堂々とぐったりしていられるのも、フィオには都合よかった。


「そうですか。暑さにやられたんでしょうね。ドラゴンに食われなかっただけ運がいい」

「食われかけてたけどな。そこを俺が助けてやったんだ」

「さすが族長!」

「今度俺も見回りに連れていってください!」

「稽古もつけて欲しいです! 俺も族長みたいに、ドラゴン何匹も殺せるようになりたいです!」

「俺も!」

「俺もお願いします!」


 そんなやり取りが何度かくり返された。村人たちの誰もが、ドラゴンを殺してきたチェイスを英雄視している。彼のようになりたいと喜んで語り、どのドラゴン肉が一番うまいかで盛り上がった。

 腹にまた階段を上るような振動が伝わる。今度はゆっくりと、一段ずつ踏み締めるような速さだ。

 あたりが静かになっていることに気づいて、フィオは目を開けた。


「ああ、やっぱり。ここはルーメン古国のセノーテだ」


 眼下には赤いレンガでできた家々が並んでいる。その数も大きさも、現代とは比べるまでもなく少なくて小さい。けれど、段を組んだとんがり屋根は健在だった。

 そして村の中心地を陣取る円形の競技場コロセウム。その位置もフィオの時代から変わっていない。現代では中央の広場を囲んで観客席が壁のように建っているが、この時代では広場が地下にあって、客席はすり鉢状に切り出されていた。

 現代の面影を残しつつ、新しかったり侘しかったりするセノーテ。それはフィオに時渡りを実感させ、この時代と現代は地続きであると確信させる。

 けれど、違う。

 ドラゴンに抱く圧倒的な認識乖離かいりが、フィオを孤独に落とす。まるでよく似せた、まったく別の惑星に来てしまったかのようだ。


「いや。ここは石の民が暮らすヒルトップ村だ」

「え?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る