213 その男の名は③
フィオの返事も聞かず、さっさと縄をかけはじめたチェイスに、連れの男が言い募る。楽しげなチェイスの悪い声が、肩越しに聞こえた。
「こいつが竜狂いだってことは、お前らさえ黙ってればわからねえことだ。なに、俺様の村で狂った布教活動なんてさせねえよ」
連れの男たちはしばし、目配せしたり肩をすくめたりしていたが、それ以上口を挟まなかった。納得したと言うよりは、諦めに近い顔をしている。
後ろからチェイスが、フィオの腕を無理やり引っ張ってきた。
「痛い!」
「お前が抵抗しなきゃ、乱暴にはしねえよ。約束する」
「あなたの言葉なんか信じられません」
「おいおい。腕っぷしの強さだけで族長が務まるか? このチェイス様にはそれだけの器があるんだよ。あと見目の麗しさもな」
な? と同意を求められた男たちは、あいまいな笑みを浮かべた。「自分で言ったら台無しだけど」「でも顔だけは腹立つくらい良い」などと、ごにょごにょ言っている。
「顔なんてどうでも――あれ、チェイス? それって確か……」
ここでフィオはようやく、知識と背後の男が結びついた。竜騎士の祖にして、ランティスたちヒルトップ家の先祖。初代族長チェイス。彼がその人だ。
今の彼を見る限り、竜騎士の祖なんて未来は想像できないが、人竜戦争の中心人物であることは間違いない。フィオはチェイスに向かってうなっている小竜を見つめ、意を決した。
「わかりました。このドラゴンを見逃してくれるなら、大人しくついていきます」
「ああ、いいぜ? そんな手負いのひな一匹、またすぐ見つけて殺してやるから」
鼻で笑ってやろうとしたが、腕をきつく引かれてフィオは唇を結んだ。抵抗せず、腕から力を抜く。
解放された小竜はフィオの顔を見上げて、小首をかしげた。
ドラゴンは賢く、自由だ。不意うちを狙ったのかわからないが、同じ手は通用しない。戯れるようにかわし、翼を広げて飛んでいく。けして人の手も槍も矢も届かない大空へと。
「あなたの世界に帰るんだよ。迷わず、まっすぐ。約束して。もう二度と私に会っちゃダメだからね」
「ほら、行くぞ」
後ろ手に縛られた縄を引かれ、フィオはよろよろと立ち上がった。か細い声をこぼして、小竜が目ですがってくる。それがジョットと重なって、フィオは見ていられなかった。
私は何度期待を裏切れば気が済むんだろう。
「おい。もっときびきび歩けよ」
歩き出して早々、チェイスから文句を言われた。縄をムチのように振られて、犬じゃないと噛みつきたくなる。
しかし傷口も開いてフィオは疲れていた。そっけなく顔を背けるだけに留める。
「昔の事故で足が悪いの。めんどうなら置いていけば?」
「なんだ。それなら早く言えよ」
縄を引かれる感触がパッと消える。フィオの前に回ってきたチェイスをきょとんと見ていれば、にわかに彼が屈んだ。そして腰をがっしり掴まれるや否や、腹の圧迫とともに体が持ち上がる。
フィオの悲鳴が荒野に響いた。チェイスの肩に担がれ、地面がずっと下にあった。
「こうすれば疲れないだろ。心配すんな。俺は仕留めたボア・ファングだって担げる」
「こらあっ! なんで千年前からボア・ファング扱いされなきゃいけないんだ!? そういう問題じゃない!」
「じゃあ抱え方の問題か? 脇でも首でもいいぞ」
「どっちも荷物の持ち方! 下ろして! だったら歩いたほうがマシだ!」
「却下。なんで俺様がお前の言うこと聞かなきゃならねえんだ」
文字通り頭に血が昇ってきたフィオは、さらに言い返そうと顔を上げた。その拍子に連れの男ふたりが、幼体ドラゴンのじゃれ合いでも見たような顔をしていることに目が留まる。バツが悪くなって文句がのど奥に引っ込んだ。
こっちを変人扱いしてくる相手に、待遇のよさを求めるなんてバカらしい。
するとふたりの男は、フィオの視線に気づいたらしかった。
「あんた族長相手に威勢のいい女だな」
「あんな楽しそうな族長、久々に見たよ」
「は。どこが?」
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