212 その男の名は②

「このドラゴンが幼体か小竜かもわからずに、相手しているんですね。知ろうともせず、はじめから武器を出されたら誰だって怖いでしょう? このドラゴンも怖がっているだけです」

「ドラゴンに心なんてない。これ以上俺の邪魔をするなら、てめえごと貫いてやろうか? 女」


 研ぎ澄まされた刃が、ひたりとフィオの首にあてがわれる。あたりに小竜のうなり声が響いた。若い男の後ろにいる男たちも身構える。

 フィオは槍を辿った先にある、男の青い目をまっすぐに見つめた。


「あなたも怖いんですか」


 その瞬間、若い男は目を見開きあとずさった。ナイフを手にした連れが、怪訝そうに顔を寄せる。


「族長、どうしました」

「こいつ頭おかしい」


 聞き捨てならない言葉に、フィオはムッと腕を組む。弦に矢をつがえたまま、もうひとりの男がフィオに不躾な目を寄越した。


「着ている服も、なんだか妙じゃないですか?」

「そうか、あの羽織り」


 若い男はフィオのケープを見ているようだった。槍は変わらず構えたまま、彼はフィオに問いかける。


「お前竜狂いだな? どこから来た」

「……ベルフォーレの森から」


 正直に話した。現代の地名が通用するかどうかで、本当に時間を超えたのか確かめたかった。

 でも竜狂いってなんのことかしら。


「ベルフォーレがどこか知らねえが。そうか、森か。やはり竜狂いだったか」

「竜狂いってなんですか?」

「とぼけんな。ドラゴンは神聖だのなんだの、妄言を吐き散らかすイカれ民族め。なにしに来た。俺様の民をかどわかすつもりか」

「あなたの民? では、あなたがここら一帯の長なんですか?」


 ひくり。男の片頬が大きく震えた様がはっきり見えた。「ほーう?」と低くこぼして、男はあっという間に距離を詰める。

 あごを掴まれて、フィオは力任せに引き寄せられた。目と鼻の先で青い瞳とぶつかる。


「この色男の顔も知らねえとはいい度胸だ。たっぷりその目に焼きつけろ。俺は岩の民が族長チェイス様だ! って、いでえ!?」


 突然、チェイスは奇声を上げてフィオを放した。見れば、小竜が足に噛みついている。


「このっ、くそトカゲが!」


 足を振り上げるチェイスを見て、フィオは小竜に飛びつく。胸にかばった瞬間、肩を蹴られた。声も出ない激痛が脳を貫く。蹴られたのはシャルルの咬傷こうしょうがあるところだった。

 地面にうずくまり、必死に呼吸するフィオを、小竜が焦った声で呼びかける。


「なんだ。どうした」


 異変を感じたらしいチェイスが近づいてきた。とたん、うなり声に変えた小竜を、フィオは羽交い締めにする。攻撃すれば返り討ちに遭う。その時男たちは、ためらいなくドラゴンの命を奪うに違いない。

 それではダメだ。そんなんじゃ、シャルルとキースを助けられない。


「お前、これ」


 チェイスはフィオのケープを掴んで、起き上がらせた。下の病衣が覗いて、荒野を駆ける風が入り込む。肩に濡れた感触と、かすかに血のにおいを感じた。


「……この女を連れていく」


 突然、チェイスがそう言った。目を見張ったのはフィオだけではない。ひかえていた男たちが慌てふためく。


「族長! 連れていくって……あっ、拷問ごうもん部屋ですか?」

「いや。俺様の家だ」

「なんでですか! 竜狂いなんて、ちょっと痛めつければ逃げ出しますよ! 放っておきましょう」

「こいつはもう痛めつけられてるみたいだぜ」


 目の前にしゃがんで、チェイスは断りもなくフィオの腕を触ったり、足のすり傷をつついたりした。腹のうちが見えない笑みを向けられ、肝がゾッと震える。

 腰のポーチから縄が取り出され、フィオはますます身構えた。扇のようにゆったり振る仕草とは裏腹に、チェイスは鋭い目を向けてくる。


「いいか。今からお前を縛るから、大人しくついてこい。暴れるなよ」

「族長。俺はやっぱり村に竜狂いを入れるなんて反対です。みんながどう思うか……」

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