210 別れと出会い②

 少しだけ手を動かして、ドラゴンの反応がないと確認してから、フィオは首の角笛を外した。それを慎重に地面に置く。


「あなたを助けたい。あなたを知りたいの」


 風が吹いて、角笛がゆるやかに鳴る。弱々しい風鳴りを掻き消さないように、フィオは心でもドラゴンに語りかけた。

 ロワ種以外に交信が届いた試しはない。それでもドラゴンは人を見ている。空を映してきた彼らの澄んだまなこは、心まで見透かし見ると感じることが度々あった。

 今フィオは試されている。そうでなければとっくに襲われている。


「私はあなたの友だちだよ」


 地面に甲をすりつけながら、フィオは片手を差し出した。爪が土を弾く音がして、ドラゴンの気配が遠ざかる。

 ここで反応してはいけない。隙をついたと思われる。息を殺し、気を鎮め、指先ひとつ動かさない。

 現代いまも変わらない。人はいつだってこの聡明な獣の許しを乞い、与えられる側だ。

 再び足音がした。鼻息の音が近づいて、フィオの指先にぬるい風が当たる。思わずひくりと反応してしまった。ドラゴンもまた離れたようだったが、すぐに戻ってくる。しきりにフィオのにおいをかいでいた。

 興味を持たれている。

 大きな一歩だ。

 しかしやがて鼻息も足音も聞こえなくなり、ドラゴンの気配は消えてしまった。


「失敗か……」


 そんなもんだ。ため息をつきながら、身を起こしたその瞬間、


「わあ!?」


目の前にドラゴンの白い顔があり、つい叫んでしまった。

 相手も「ぴぎゃ!」と驚き、背中から転がり倒れる。脚をじたばた振って起き上がると、後脚をかばいながらあとずさりをはじめた。


「あああっ、違うの待って! 驚かせようとしたんじゃなくて、おふ!?」


 フィオは慌てて立ち上がろうとしたが、足がついていけず顔から倒れ込んだ。


「ぶえっ。うえっ。いたいー、砂きもいー」


 顔についた砂を払い、口の中の不快感を吐き出す。すると不思議がるような鳴き声が、そろそろと近づいてきた。目を起こすと、小首をかしげたドラゴンがフィオを見下ろしている。


「戻ってきたの。やさしい子だね」


 話しかけると首が反対側へ倒れた。なんて言ってるの? そんな仕草だ。

 くすくす笑いながらフィオは起き上がった。ドラゴンはまたびくりと体を震わせるが、離れる素振りはない。


「そうだなあ。このへんにグミ草があればいいんだけど」


 待っててね、と身振りで伝えて近くの岩の周りを探してみる。小さなドラゴンは言うことを聞くはずもなく、あとをついてきた。

 運よく岩の隙間にグミ草を見つける。フィオは嬉々として、ふくらんだ葉っぱを摘み取った。


「今から治療するよ。いいかな?」


 地面にあぐらを掻き、病衣の裾を破りながらドラゴンに断る。けれどやっぱり不思議そうな顔をされた。

 ためらったらまず、逃げられて終わりだ。この小さなドラゴンは二度とフィオを、人間を、許すことはないだろう。

 痛みを長引かせないためにも、ひと思いにやるしかない。


「ごめんね……!」


 フィオはすばやくドラゴンに近づき、トゲに手をかけた。力を込めて一気に引き抜く。かん高い悲鳴が荒野に響いた。目の色を変えたドラゴンは、トゲを持ったフィオの腕に噛みつく。


「ん……っ! 痛いよね。ごめん、ごめんね」


 血が流れ出した腕から、フィオは力を抜いた。振り払うことも、無闇にドラゴンに触れてなだめることもしない。ただじっと耐え、おだやかな声で謝りつづける。

 やがてドラゴンの呼吸が落ち着いてきた。

 それを見計らって、フィオはグミ草を取り出す。力を加減してドラゴンの傷口に塗った。痛みを感じる度に、ドラゴンはあごを食い縛った。フィオは血の気が引く思いがして、指先が震える。

 それでも、傷口がたっぷりの果肉に覆われるまで、手を止めなかった。


「これでよし、と」


 傷口に服の切れ端を巻きつけたところで、フィオはひと息つく。ドラゴンは布のにおいをしきりに調べ、結び目を引っ張ろうとした。

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