第8章 幾星霜の時を超えて

209 別れと出会い①

 風が吹いている。ベルフォーレの森よりも乾いた風だ。鼻の奥がツンと痛む。

 フィオの意識はゆるやかに浮上した。まるで長く眠っていたかのように、頭や体が重怠い。身じろぐと手にザラリとした感触がした。かすかに芳ばしいにおい。これは土だ。


「じめん……外……」


 目を開けると痛いくらいに日差しが照っていた。しばらくしてまぶしさに慣れると、青い空と赤土の大地が見えてくる。フィオは慎重に体を起こした。

 相変わらず首から肩の咬傷は引きつけれる痛みを発し、背中も鈍痛を訴えてくる。足の患部は、休めたお陰で少し大人しくなっていた。


「ここが千年前……?」


 あたりには赤土の荒野が広がり、軽くフィオの身長くらいある岩がゴロゴロ転がっている。その岩の足元やひび割れた隙間には、多肉植物が自生していた。


「見た目、ルーメン古国ここくっぽい?」


 情報がなさ過ぎてなんとも言えず、フィオは首をひねる。そこで地面に大きな木の影が落ちていると気づき、テーゼだと安堵した。


「ねえ、テー……」


 振り返ってフィオは、表情が抜け落ちていった。テーゼはフィオのかたわらに座り、首をもたげたまま絶命していた。葉が残っていた片翼は見る影もなく、白く枯れた先端が折れてぶら下がっている。

 しなやかだった木肌からは瑞々しさが消え、表面の凹凸が際立つ。美しいひすいの目は固く閉じられていて、それと知らなければどこにあるかわからない。

 生物の持つやわらかさとぬくもりを失った容れモノ。どんなに精巧な姿形をしていても、そこに生前の彼女はいないとフィオは知っている。


「そう、か。そうだったね、テーゼ……。ありがとう。ゆっくり休んで……」


 ポトッ。

 ふと、目の前になにかが落ちてきた。手に取ってみると、指先ほどの大きさの木の実だった。

 どこから落ちてきたのか、フィオはテーゼを見上げる。古木になってしまった彼女の顔を見た時、いっしょに連れていって欲しいと言われた気がした。

 胸当て布の間に木の実を押し込み、そこをポンッとひとつ打つ。


「任せて、テーゼ。ミミに届けるよ。まあ、無事に帰れたらだけど」


 そう言えば、と周りを見回すと、ミミから受け取った角笛とネックレスは地面に落ちていた。慌てて拾い、首にかける。ペンダントトップの金具を外すと、ジョットのとろけた笑顔がフィオを出迎えた。

 正直これは感傷に浸ってしまうから持ってきたくはなかったが、ドラゴンをなだめられる角笛はありがたい。


「あ、しまった。ライフル装備一式持ってくるんだった。いやでも時代的にまずいのかな? そもそも戦争止めるんだからドラゴンと戦っちゃいけないし……。え、どうやって戦争なんて止めるの?」


 テーゼさあーん。泣きついてみても、もはや彼女はすました古木だ。もっと歴史を勉強しておくんだった、とフィオは頭を抱える。

 その時後ろで荒い息遣いがした。フィオはハッと振り返る。

 岩影から出てきたのは小さなドラゴンだった。小竜科か幼体か。体色は白く、二本の青い角が生えている。背中には一対の翼。

 色が違うことを除けば、小竜科ぺディ・キャットと似ていた。しかしなにせ千年前だ。定かではない。

 小さなドラゴンはフィオに気づくや否や、身を低くし爪を立て、威嚇してきた。


「あなた、脚が」


 そこでフィオは、ドラゴンの右後脚が血に染まっていることに気づく。出所を辿ると、股関節付近にトゲのようなものが刺さっていた。


「怪我で警戒心が増してる……。いや、この時代は元々、人とドラゴンは敵同士か……」


 フィオは即座に視線を外し、刺激しないようにした。そしてその場にしゃがみ込み、敵意がないことを示す。

 視界の端に映るドラゴンは動かない。様子を探っているようだ。


「だいじょうぶ。私は敵じゃないよ」


 ゆっくりと腕を持ち上げる。ドラゴンがうなった。一旦動きを止めて、息をひそめる。

 汗が米神を流れた。その一滴が地面に落ちた音も、引鉄になりそうな沈黙が張りつめる。

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