205 禁足の森①

「ここです。下りてください」


 ミミが指をさした先には、ひと際太く背の高い木々が生えていた。下りてみるとちょうど木道の切れ目だ。あたりの大木には、草花とつるを編み込んだリースがかけられ、なにかの目印になっている。


「待っていたよ、ミミ」

「テーゼがそわそわしているの。きっとなにかあるだろうと思って」


 こんな深い森の中で、人に出くわすとは驚きだ。忽然と現れた老婆と壮年の女性に、ミミが駆け寄っていく。

 ふたりの髪はミミとよく似た緑色で、クリーム色のケープをまとっていた。壮年の女性がミミの頭をなでると、いくつも重なった木製の腕輪がカラコロと鳴る。


「私の祖母と母です。森に住み、禁足地を管理しています」


 手短に紹介して、ミミは頭上へ手を差し向ける。

 天上を支える柱のように立派な大木に、木とわらで造られた円形の家がふたつ組まれていた。二軒の間には太いつたの橋が渡してある。

 フィオは門だと思った。人間界と神の領域を隔てる門。あちらこちらに見られるリースはおそらく、神の縄張りを示すものだろう。


「フィオ・ベネットさんですね。話はミミからうかがっています。さあ、こちらへ」


 会釈したミミの母が、門の向こうへうながす。ところがコレリックが、その場から動かなくなった。ランティスが声をかけハンドルを引いても、根が生えたようにびくともしない。


「これより先はテーゼの領域。躊躇ちゅうちょしているのだろう。呼びつけたのはテーゼ自身だ。怒らないとは思うが」


 ミミの祖母の言葉に、ランティスは首を振った。


「いや、コレリックに無理はさせたくない。歩いていこう。フィオさんは僕が背負うけど、いいかい?」

「すみません。お世話になります」


 医者や看護婦に見つかってはめんどうなので、フィオは病衣のまま出てきた。足元は裸足だ。体力にも不安があり、大人しくランティスの背に甘えることにする。

 早く戻ってきてね。そう訴えるかのように、コレリックは門の前で右往左往しながら、相棒とその一行を見送った。


「ここは、シャルルに追いかけられて来た場所……」


 石段を下りた先に広がる、浅い水に沈んだ苔野原を見て、フィオは緊張した。ところどころ苔はこんもりと盛り上がり、島のように水面から顔を出している。枝葉から差し込む陽の光が、若葉色のまだら模様を描いていた。

 先導するミミの母につづいて、ランティスの背に揺られながらフィオは水の中を進む。

 水深は足首ほどとはいえ、下はやわらかい苔だ。思うように力が伝わらない地面に、ランティスは何度もよろめく。フィオはつい謝った。


「すみません」

「いいんだ。気負わなくていい。フィオさんは気負わなくていいんだよ」


 くり返されるランティスの言葉は、別のことを指しているようだった。フィオは拳を作って、たくましい背中を打つ。

 ヴィオラの腫れた涙袋、キースの死に顔、シャルルの細い瞳孔。なにひとつ忘れられない。頭から離れない。気負うな、なんて無理だ。

 キースの代わりに自分が死ねばよかったと思っている。

 けれどその願いも、単なる甘えだ。


「フィオさん、どうぞ前へ」


 ひと際大きな苔の島の手前で、フィオはミミの母に呼ばれた。横に並ぶと「あの島に渡ってください」と大きな苔島を指す。

 ランティスはフィオを背負ったまま水に入ろうとした。しかしミミに止められる。


「ここを渡れるのは神に招かれた者のみ、というしきたりです。フィオさんだけでお願いします」


 申し訳なさそうにミミはつづける。


「すみません。テーゼはもう老体なので」

「ううん。だいじょうぶ、歩けるよ」


 ランティスに降ろしてもらい、フィオは水際に立った。ミミの祖母がやってきて「これを羽織り」とケープを肩にかけてくれた。

 礼を言って、みんなの顔を見回す。フィオはにこりと微笑んでみせた。

 ゆっくりと足を浸けた水は、思ったよりも冷たくなかった。片足をかばいながら、苔のじゅうたんを掴み進んでいく。

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