203 明けない夜②

「キース? キースがどうかしたの……?」


 暴走したシャルルは、ジェネラスが押さえてくれたはずだ。その間にキースはフィオの止血をしてくれた。緊張に強張った頬で笑った兄を覚えている。

 それから、安全な場所まで抱えて――。


「ちがう」


 ジェネラスが横倒しにされていた。キースは発砲したのだ。二回。一度目はジェネラスを助けるため。二度目はシャルルが向かってきて、それで、それで。


「ヴィオラさん、落ち着いて。今はフィオさんを休ませてあげるんだ。フィオさん、立てるかい?」

「……ランティスさん、キースはどこですか」

「彼もまだ眠ってるよ」


 手を差し伸べてくるランティスの表情は、平生と変わらなかった。おだやかで、思慮深い目をしている。

 しかしフィオは声に含みを感じた。言い淀むような、声音こわねのずれ。普段ならまったく気にならない変化が、フィオの神経を逆なでる。


「フィオさん!?」


 走り出したフィオをミミが呼び止めた。だがフィオは焦燥に駆られ、包帯や不織布だらけの手足をいっそう強く動かす。

 廊下の突き当たりに院内見取り図があった。目当ての部屋を探し出し、階段を駆け下りる。二階分下りたところで、もう足のつけ根が音を上げた。


「役立たず……!」


 フィオは舌打ちし、手すりを使って片足で飛び下りる。

 地下一階の廊下は、発光石の照明があっても薄暗かった。備品庫、薬品室、リネン室。意味のない案内板の文字を次々と弾き、奥へ進む。

 廊下の曲がり角に差しかかった時、その部屋はフィオの前に現れた。

 “霊安室”

 止まることなくフィオは扉を開けた。がらんとした室内の真ん中には、一台のベッドが置かれている。白い上かけが盛り上がっていた。目がその小山から離せない。

 足の痛みも忘れ、一歩一歩近づいていく。部屋はやけに寒くて、今にも歯が震え出しそうだった。


「あ……」


 横たわる人の頭が見えた。顔に白い布がかけられている。きれいに整えられた髪は青色で、肩の下まで伸びていた。

 顔を確認しなければ。

 義務のようなその思いだけが、フィオの脳を支配する。白い布に指をかけた時、触れた肌は冷たくて、生き物とは思えないくらい硬かった。


「は……っ、あ、あ……」


 布の下にあったのは、兄キースの顔だった。肌は青白く生気が抜け、まぶたも唇ものりで固めたかのように閉じられている。

 一見してそれは、精巧なろう人形に見えた。ただの器。肉と骨でできた人間の形をしたモノ。けれど生命として、決定的なものが抜け落ちている。


「ふっ、ふっ、ふうう……っ」

頚椎けいつい骨折により即死。痛みもなくけただろうと、医師が言っていた」

「ひ……っ!?」


 突然、布を握る手を掴まれて、フィオはびくついた。見ればランティスが後ろに立ち、フィオを囲むように腕を伸ばしている。


「さあ、キースを眠らせてあげて」


 彼の手に導かれるまま、布を戻した。

 気づけばミミも来ていて、フィオからキースを隠すように寄り添う。腕をゆるく引かれ、ベッドのそばを離れた。

 目を閉じると、まぶたの裏に伸しかかってきたヴィオラの顔が浮かんでくる。彼女の涙袋はひどく腫れて、目は赤く染まっていた。

 フィオは強く、きつく、拳を握り締める。


「ランティスさん。シャルルは今どうしてるんですか」

「竜騎士団の竜置所にいるよ。拘束されている」

「今後の、処分は」

「フィオさん。その話はまた後日に――」

「答えてください!」


 フィオの叫びは場をぴしゃりと打ち、廊下中に響いた。そのあと降りた沈黙は、耳が痛いほど重い。

 ランティスは背を向けたまま、深く息を吸った。


「重傷者一名、重傷ドラゴン一頭。そして死者一名……。シャルルはきみに傷を負わせた時、人間の血の味を覚えたと思われる。竜騎士団はこのドラゴンを非常に危険だと判断した。このまま竜置所の収容率が圧迫されれば、安楽死は免れない」

「そ、んな……」


 声を震わせたのはミミだ。戦慄く彼女の肌がフィオにも伝わる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る