200 友達 相棒 家族③

 追撃の手はゆるめない。

 地面に転がった鎮静香を拾い、フィオはつづけ様に二発、シャルルの顔と足元に浴びせた。


「そう、風で巻き上げて。いい子」


 足元に投げたのは、シャルルが翼で粉末を払うと見越してのことだ。思った通り、力強い羽ばたきで鎮静香は霧散したが、同時に発生した風が粉を舞い上げたに違いない。

 フィオは注意深くシャルルを見ながら、首から角笛を外した。

 秋風にさらされ、角笛からゆるりと風鳴りが流れる。フィオはひもを持って回し、弦のように美しい音へ高めていく。

 森に響く笛の音に紛れて、フィオは少しずつシャルルから間合いを取った。


「シャルル、私の声が聞こえる? お願い、気をしっかり持って」


 まだ目に違和感があるのか、角笛がうるさいのか。シャルルは忌々しそうに鼻息を鳴らし、その場でぐるぐると回る。

 触れるものすべてをなぎ払っていくしっぽを見る限り、興奮状態は収まっていない。

 シャルルに集中するフィオは気づかなかったが、あたりの木々には草花とつるを編んだリースがかけられていた。


「シャルル、思い出して私を!」


 私を置いていかないで!

 ジョットのように心で交信してみるが、やはりなにも返ってこない。開いたシャルルの目に浮かぶのは、明確な敵意だ。

 フィオをにらみつけ、ますます瞳孔を絞ったシャルルは、よだれを滴らせながらけたたましい咆哮で威圧する。

 次の瞬間、シャルルは地を蹴って空を駆けた。知らず知らず開けた場所に出てしまったのだと気づいた時にはもう、フィオの目の前に牙が迫る。


「いやっ! あ、きゃあ!?」


 とっさに目をつむり、足を引いた。しかし靴底が滑り、ガクンと体が傾く。そのお陰でシャルルの攻撃は免れたが、脚に突き飛ばされた。

 せつな包まれた浮遊感は、一瞬のうちに悪寒へと変わる。戦慄わななく背中を激しく強打し、斜面に落ちたのだと思う間もなく、フィオの体は転がりなぶられていく。

 内臓を押し潰す圧迫も、手足の鋭い痛みも、フィオはただ歯を食い縛って耐えるしかなかった。

 パシャン……ッ。


「……水」


 やがて服がじんわり濡れる感触がして、フィオは目を開けた。あたりに水が薄く張っている。地面には苔が生えて、まるで上等なベッドのようにふかふかしていた。

 陽の当たる場所があれば、シャルルが喜んで昼寝をしそうだ。


「シャルル……」


 声に応えるように、頭上からドラゴンの声が降り注ぐ。

 全身が重く、痛い。口の中は土だらけで、フィオはつばといっしょに吐き出した。手足はどうにかくっついているようだ。

 震える手を苔に埋もれさせながら、ゆっくりと上体を起こす。

 背中が割れるように痛かった。仰向けに寝返りを打つだけで、息が上がる。頭からつま先まで、土と痛みで不快しかないのに、水に浸った背中だけはひんやりと気持ちがいい。


「ナイト・センテリュオ……。あなたはたしかに、夜のきらめきだね……」


 夜空を縁取る木立の間から、いっそう深い闇が現れる。月明かりを浴びて輝く一対の角は、彗星すいせいのごとく冷ややかだ。フィオを見下ろす瞳は星のごとく、青く澄みながら、触れる者をことごとく溶かす熱を内包している。

 ポタリ。

 牙の間から垂れただ液が、フィオの頬を濡らした。


「くっ……うっ、ん……!」


 王者然とシャルルは獲物に脚をかけ、ゆっくりと力を加えていく。肩と患部の足を押さえつけられて、フィオはもがくことも封じられた。

 漆黒の闇が生ぬるい風を吐き、鋭利な牙が覗いて迫る。


――あのドラゴン、こわい。


 黒一色の体はいかつく見えるからか、不吉を予兆させるからか。子どもの頃はシャルルと歩いていると、よくそんな声が聞こえてきた。


――女の子にはあまり似合わないドラゴンね。


 幼なじみのヴィオラに言われたこの言葉も、耳慣れている。それを気にした父オリバーが――シャルルはオスなのに――リボンを買ってきて、首や角を飾りつけたこともあった。

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