199 友達 相棒 家族②

 宿や別荘、住宅が点在する中、フィオが逃げ込めるのは禁足地だけだった。神が眠る場所とされ、特別な祭事以外には立ち入りが禁止されている土地だ。

 そこへシャルルを誘い込めば、少なくとも誰かが襲われることはない。

 その代わりフィオは、ひとりで戦うことを余儀なくされる。


「だいじょうぶっ。グルトンだって戻せたんだから! シャルルも暴走状態になったばかり。きっとまだ理性が残ってる……!」


 片足を引きずりながら跳ねるように走り、フィオは腰のポーチから鎮静香を出す。これを何発か浴びせれば、動きが鈍くなるはずだ。


「ああでも、今まではジョットくんが交信したから、うまくいったんだっけ」


 力のおこぼれをもらっているに過ぎない私に、できるのかな。


「ジョットくん、力を貸して……っ」


 そこへ低いうなり声が迫ってきた。薄闇の中、青いクリスタルの角が猛然と追いかけてくる。フィオは目についた枝を掴んだ。急く心を抑え、枝もシャルルもギリギリまで引きつける。


「ごめん!」


 生ぬるい吐息が首裏のすぐそこまで近づいた瞬間、手を放した。枝は高く風を切り、ムチのようにしなってシャルルの頭を打つ。


「ぎゃう!?」

「よし、今だ!」


 シャルルは怯み、ぶたれたところを前脚で触る。フィオはすかさず鎮静香を構え、前脚を下げたところを狙った。

 しかし黒い翼がサッと間に入り、弾けた粉を払い飛ばす。


「ああっ! さすが私のシャルル賢い!」


 ギロリとにらまれて、フィオはまたよたよたと走り出した。今の鎮静香がシャルルの導火線に火をつけただけでなく、少しでも粉を吸い込んでいることを願う。


「もっと隙を作らないと……!」


 レースをしながらライフルの弾も避ける種族だ。人の腕力だけで放たれる鎮静香など、のろく見えているに違いない。

 もっと枝や使える地形がないか、フィオは視線を飛ばした。だがそう都合よく低い枝が生えているわけもなく、刻々と濃くなる闇夜が視界を覆っていく。

 フィオにできることは、なるべく枝葉の茂るほうを選び、シャルルに翼を使わせないことくらいだった。


「あ!?」


 あたりに気を配るあまり、足が根っこに捕らわれた。前へ倒れそうになって、フィオは思わず患部の足を踏み出す。全体重がその一点に伸しかかった瞬間、息も奪われるほどの激痛が駆け抜けた。

 全身の体温が一気に下がり、怖気おぞけとともに嫌な汗が噴き出す。ひざから力が抜け、枯れ葉の上にドッと倒れた。

 牙を剥いた狩人がひと息に飛びかかってくる。


「くっそ……!」


 そばに太めの枝が落ちていた。フィオはそれを夢中で掴み、角と目だけがギラギラ光る獣に向けて横に構える。

 ゆるやかに湾曲した牙が、枝に阻まれ眼前で止まった。伸しかかられた衝撃はすさまじく、フィオは後頭部を地面に打ちつけ意識がくらむ。

 それを引き戻したのは、首から胸にかけ押さえつけてくるシャルルの脚だった。


「ぐう……っ!」


 服越しでも爪が肌に食い込む。首にピリリと痛みを感じた。体重をかけてくるドラゴンを前に、フィオの腕は押し返され、枝はミシミシと悲鳴を上げる。

 シャルルはこんなに重かったんだ。

 今さらな思考が脳裏をかすめる。体重三〇〇キログラムもあるのだから当然だ。

 しかしフィオは今まで、シャルルにどんなに寄りかかられても、飛びつかれても、重いと思ったことはない。それはシャルルが手加減し、フィオを傷つけないよう気遣ってくれていたからだ。

 やさしさだった。

 愛情だった。

 ふたりの絆は確かに、そこにあった。


「シャルルっ、諦めないよ私は! 最後まで……!」


 足でシャルルの後ろ脚を探り当て、フィオは爪先を狙って思いきり蹴った。どんなに厚い皮ふに覆われていようと、神経が集中する爪先への攻撃は効く。

 押さえつける力が弱まったところに、枯れ葉と土を握って投げつけた。目を狙われて、シャルルは堪らず頭を振りあとずさる。

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