198 友達 相棒 家族①

 目を向けた瞬間、シャルルの首が伸びてきてぱくりと鍵をくわえた。驚くフィオを得意げな目で見て、しっぽを振っている。

 遊ぼう。言葉はわからなくても、相棒の声が聞こえる。

 じんじん痛む足なんかどうでもよくなって、フィオは掴みかかった。するとシャルルは鼻を高く鳴らして喜び、跳ねるように駆け出していく。


「こらっ、待て!」


 すぐにフィオも走り出す。片足を引きずる不格好な走り方に、木道はひどい音を立てた。記憶していたよりも体はずっと重たくて、ちっとも前に進まない。

 ふと、考えが過る。

 あと何回、こうしてシャルルと遊んであげられるだろう。

 あと何回、いっしょに飛べるんだろう。

 私はいつまで、レースライダーと名乗れるの?

 その時、フィオは服のどこかの糸がブツリと切れる感覚がした。思わず足を止めると、前を走るシャルルもぴたりと止まる。

 上着に手をかけて探るが、ほつれた箇所は見つからなかった。手元が暗い。


「もう陽が沈むね。早く帰ろうか、シャルル」


 少しはしゃぎ過ぎた。歩くのもびっこを引かなければならない。フィオは苦笑してシャルルに近づく。

 背中に乗せてもらおうと、手を伸ばした。


「……シャルル?」


 しかしシャルルは動きを止めたままだった。いつもなら体を低くして、フィオを手助けしてくれる。

 機嫌が悪くなった? 顔色をうかがおうとすると、なにかが枯れ葉に落ちる。鍵だ。拾い上げようとしたフィオの耳に、低いうなり声が届く。


「シャルル? どうしたの」


 木道の先に人や動物がいるわけではない。フィオは周囲を見回しながら、心でシャルルに呼びかけた。そして息を呑む。

 なにも手応えがない。あたたかさも冷たさも、おだやかな風の音も、激しく逆巻く轟音ごうおんも。

 ファース村でシャルルとすれ違っていた時でさえ、嵐のような音は絶えず届いていた。


――そっぽを向くなんてもんじゃない。絆そのものが消える。なにも感じなくなる。どうしようもない孤独と喪失に突き落とされるんだ……。


 相棒グルトンが暴走した感覚を語った、農夫エドワードの言葉がよみがえる。


「シャルル! シャルル! 私の目を見て! 声を聞いて!」


 フィオはとっさにシャルルの頭に抱きついた。しかし強い力で振り払われ、木道に尻もちをつく。

 シャルルは鋭い牙を覗かせ、はっきりとうなり声を上げた。振り向いた青い目が、フィオを捉えて苛烈かれつに絞られる。

 そこに浮かぶ瞳孔は、今宵昇った月のように細く細く研ぎ澄まされていた。


「そ、んな……シャルル……っ」


 思わず手を伸ばした瞬間、シャルルは弾かれるように翼を広げ飛びのいた。大きく広げた翼はそのままに、角を振り上げ威嚇してくる。

 刺激を与えてはいけない。フィオはうつむいて目を逸らした。シャルルが互いの力量差を推し測り、警戒しているうちにあとずさって、距離を稼ぐ。

 足を痛め、ライフルも持っていないフィオに、手に負える相手ではない。打てる手段はせいぜい助けを求め、誰かに竜騎士団を呼んでもらうことくらいだ。


「シャルル、私が、わからない……?」


 でも、到着した竜騎士はシャルルをどうする。助けを呼びに行っている間に、シャルルが宿を襲撃したら……。


「シャルル、フィオだよ。あなたの友だちで、相棒の」


 人を襲ったドラゴンに、竜騎士が実弾を使わない保証はない。


「たったひとり残ってくれた……いつもそばにいてくれた……あなたは私のっ、家族でしょお……っ!」


 フィオの慟哭どうこくは、シャルルの憤怒ふんぬの咆哮に掻き消される。にじむ目を拭うフィオに向けて、シャルルは爪を立てた。

 飛びかかる予兆。それでいい。

 腰を上げながら、フィオはシャルルの筋肉が隆起するのを見て、一気に森へ駆け出した。

 入れ違う形でシャルルが木道に突進する。後ろから木材の割れる音が響いた。

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