193 ミミといっしょ①

「これは、油断というか」

「ジョットくんと離婚解散したって噂は本当だったんですね」

「りっ……そういう言い方はやめようよ。そもそも彼を、シャンディまで送り届けるついでのナビだったの。彼には婚約者がいるし」


 まさか体重の増加が、失恋によるヤケ食いだと思われては堪らない。そんな記事が書かれて、ジョットが見たらと思うと、フィオは過去の自分を殴りたくなった。


「それでも悲しいじゃないですか。仲よかった子と離れるのは……」


 ミミの声は不満に沈み、すねたような目をしている。年下の彼女が見せる素直な気持ちが、フィオの心にすとんと溶け込んだ。


「そうだね。ジョットくんがいたから、私はかっこよくいようとがんばれたんだ」


 するとミミは我慢ならないと言うように、腰のポーチを漁りはじめる。テーブルに置かれたのは、手のひら大の本だ。


「フィオさんがジョットくんを置いて競技場コロセウムを出ていくのを見てから私、なんだか落ち着かなくて。やるせなくて。気づいたらこんなものを作っていました」


 本には転写絵がテープで留められていた。次々と現れるそれのどれにも、写っているのはフィオとシャルル、そしてジョットばかりだ。

 イヤリング型伝心石をつけて、緊張した彼の横顔。シャルルに舐められて、ちょっと嫌そうに眉を下げた笑顔。会見を受けた時のものか、誇らしげな金の眼差し。腹部から血を流して、運ばれていく体。

 最後のページには、フィオに背を向け大股で歩き去っていく彼が写っていた。


「これはほんの一部です。私自身驚くくらいたくさんあって。いつの間にかフィオさんとジョットくんのファンになっちゃってたんです。あっ、これが私の一番のお気に入りです!」


 そう言ってミミが差し出した転写絵は、封筒にしまい込まれていた。フィオは目で見てもいいか確認してから、慎重に取り出す。

 ジョットの顔が大きく写された一枚だった。角の生え際を掻いてあげたシャルルのようにふにゃりと頬をゆるめ、ほのかに赤くしている。

 細く弧を描いた瞳にはまつ毛が覆いかぶさり、その隙間から陽だまりのような光彩がきらめいていた。


「いつ撮ったものか、わかりますか」


 秘密を明かすような声でミミがささやく。フィオは転写絵から目が離せないまま、首を横に振った。


「フィオさんが『少年』ではなく、『ジョットくん』と呼んだ時です」


 ハッと息を呑む。

 その時のことはもちろん覚えていた。過剰に喜ばれて、恥ずかしくなったことを思い出す。

 けれど彼はこんな表情をしていただろうか。こんな目で見つめられていたのだろうか。

 せつなの世界を切り取った絵に、思い知らされる。ジョットのあたたかさ、愛情の深さ、信頼、澄みきり過ぎて透明を湛えた想いを。


「たぶん、この時なんです。私がおふたりから目を離せなくなったのは。ずっと見てたからわかります。ジョットくんがこんな顔で笑うのは、フィオさんの前だけなんです。どんな瞬間も目におだやかな光があって、フィオさんもそんな目でジョットくんを見ていて。そんなおふたりが私は――」


 ふと、ミミの話し声が途切れたと思ったら、ハンカチが差し出された。瞬きをした拍子に、フィオの視界は揺れてぼやける。彼女の気遣いを素直に受け取り、フィオは目元を拭った。


「私、決めました!」

「え。ミミちゃん?」


 突然立ち上がったミミに、フィオは目をまるくした。彼女は上着を脱いで、紺色のニットベストとシャツ姿になる。キャスケットも外し、緑のショートヘアーをあらわにしたミミは、まだ遊び盛りの少女に見えた。


「行きますよフィオさん!」

「なに、え、どゆこと!?」


 制服を腰に巻いて、ミミはフィオの腕を取り立ち上がらせた。封筒の転写絵もアルバムも、ついでに伝票も奪われて、彼女の勢いに流される。

 店を出ると、シャルルが待ち構えていた。ついてきてください! とミミに言われ、相棒はウキウキと足踏みする。

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