192 ベルフォーレ特保国首都ティルティ②

 戻ってきたシャルルを抱き締めて、コテージに入った。小さなテーブルと二脚のイスが置いてあるだけの、簡素な部屋だ。ロフト分だけ天井が高いが、風車小屋と同じくらい狭い。

 なのに、なんだかがらんとして見える。薄日差し込む窓から、森の鳥のさえずりが聞こえてくる。


「ジョットくん。あなたがいないだけで、こんなに静かだよ」


 ふいに、シャルルの頭がこてんと倒れてきた。フィオの腹にぐりぐりと押しつけ、のどを鳴らす。フィオはピンとひらめいて、無造作に置かれていたトランクケースからブラシを取り出した。

 とたん、シャルルは尻を高く上げてしっぽを振る。はりに吊り下げられた発光石のランタンにぶつかって、衝撃でオレンジ色の明かりがついた。


「今日は念入りにやってあげる!」


 ゆらり、ゆらり。明と暗が揺れ動く中、フィオは床に座ってシャルルを横に寝そべらせる。首筋をブラシでなで、角の生え際を引っ掻いてやると、相棒は満足げな息をついて脱力した。

 むにゃむにゃと口を動かし、ぺろりと鼻を舐めるシャルルに、フィオは声を立てて笑う。太く強靭なしっぽが、意外にもやわらかくポンと床を打つ音色に合わせ、ブラシを動かした。


「シャルル、おやすみ」


 その日は荷解きだけ済ませ、日没とともに眠る。ロフトから下ろしたマットを一階の床に敷いて、シャルルの翼に守られるのを感じながら、フィオは目を閉じた。




「うーん。そろそろ旅費もやばいんだよねえ」


 フィオは壁のコルク板を見上げて、フライドポテトをかじった。

 どの国の飲食店にもたいていコルク板が設置され、街のお知らせ掲示板となっている。落とし物を拾っただの、手作り市場が催されるだの、恋人募集中だの、内容は様々だ。

 フィオの目当ては求人広告だった。日雇いまたは短期で、ドラゴンに乗ってできる仕事がいい。


「時期的に求人はいっぱいあるんだけどねえ。食費も浮く飲食店がいいなあ」


 ひとりぶつくさ言いながら、フィオはポテトを細く開けた窓から差し出した。すると鋭い牙が覗いて、ぱくりと食らいつく。


「でも飲食店だとドラゴンなしになっちゃうねー」


 ロードスター杯第五レースをひかえて、ティルティの街には人がこぞって集まっている。そうなると、人手不足に泣くのは観光業と運送業だ。特にティルティでは、紅葉遊覧ドラゴン便とドラゴンタクシーの需要が爆発的に上がっている。

 そこを狙えばまず断られることはない。むしろむせび喜ばれる。


「どっちかな」


 指揮棒よろしくポテトを振って、フィオは絞った求人広告を交互に見る。そこへ催促の感情が流れてきて、ポテトを窓に放ってあげた。


「フィオさん! やっぱりここにいたんですね!」


 調子に乗ってポテトをぽんぽん投げていると、声をかけられた。振り返ってまず目に入ったのは、黄色の上着。まくった袖が黒と灰色のチェック柄だ。それを見て、ドラゴニア新聞記者だと気づかない者はまずいない。

 めんどくさいという苦い思いと、取材料ふんだくれるかもと甘い思いが、一瞬で交差する。しかし次にリボンつきキャスケットが目に留まって、フィオの思惑は霧散した。


「ミミちゃん。よくここがわかったね」

「表にナイト・センテリュオがいましたから、フィオさんの確率が高いと思いまして」

「ははは……。お散歩行ってきていいって言ったんだけど、居座っちゃってね」


 レ・ミミはヒュゼッペレースでフィオとシャルルの転写絵てんしゃえを撮り、記事にしてくれた記者だ。

 新聞屋は個人の領域を侵す覗き魔で、フィオは苦手意識を抱いている。だが、ドラゴンやレースが好きだと、それを伝えたいと語ったミミだけには、好感を持っていた。


「って、また少しぷっくりされましたね……?」


 向かいに座ったミミに指摘され、フィオは顔を触る。確かにここまで来る道中、食事に制限をかけなかった。頭ではいけないとわかっていても、自分を律しきれなかったのだ。

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