190 さよなら②

――ライダーとナビに一番大切なもの。


 伝心石を受け取った日のこと、今も覚えている。彼女はジョットの瞳と同じ色の石を選んで『少年用』と言ってくれた。手ずからつけてもらった緊張は、自分だけの特権への喜びに一瞬で塗り変わった。

 そこからはじまったライダー・フィオとナビ・ジョットの日々が、サラりと手のひらからこぼれ落ちる。キースに渡った石は、一度だけ光を瞬かせ、閉じた指の向こうに消えた。


「お前さ、婚約者の前でそういう顔するなよ」

「わかってる!」


 ならいいけど、と肩をすくめたキースの声は、冷たく聞こえた。それに無性に腹が立って、「そういう」と言われた顔をむちゃくちゃにこする。すると目になにか入って余計に苛立ち、もっと強くこすった。


「……ありがとうな、ジョット。じゃあ、元気で」


 目を開けられないうちに、キースの気配が遠ざかる。ジェネラスもあいさつ代わりにひと声鳴いて、離れていった。

 やがて、鉱物科らしい重い羽ばたきの音が、ジョットの頭上を越えていく。


「なんであいつから礼を言われなきゃいけないんだよ。なんであいつが、別れのあいさつすんだよ。フィオさんには『さよなら』も言われてないのに」


 こすり過ぎた目はじんじんと腫れぼったく、熱を帯びている。


「あー、最悪。涙出てきたクソが。クソクソ、クソ……!」


 顔を覆ってその場にしゃがみ込む。高い波が割れて足を濡らしていったが、どうでもよかった。まだ目の奥がゴロゴロしている。


「少しもすっきりしねえじゃねえか……」



 * * *



 シャンディ諸島国からベルフォーレ特保国へは、来た道を北上するより、さらに南東へ進むほうが早い。点在する島を渡り海上宿船に一泊して、岬の町ロンロに入る。

 空気は寒冷地域特有の冷たく乾いたものに変わった。ロンロの町から先は、ベルフォーレを象徴する広大な森林地帯だ。

 今がまさに紅葉こうようの盛りで、常緑樹の緑や黄緑、落葉樹の赤や黄色が、まるで子どもが無邪気に絵筆を振ったように散りばめられていた。

 その無秩序さに人々は説明できない美しさを感じ、毎年ドラゴンに乗って遊覧する観光客が絶えない。『死ぬまでに行きたい世界名勝地』などと、観光案内本に載ったほどだ。


「死ぬまでに、か……」


 死ぬ時、フィオが思い浮かべるのは、きっと故郷ヒュゼッペの風景だ。学校の友だちや先生、ドラゴンレースのライバルたちを振り返り、最後は家族と相棒ドラゴンを思う。

 シャルルの横には、生意気なナビの少年もいるに違いない。


「ジョットくん……」

「おいおいおい。このジン・ゴールドラッシュに抱きついておいて、他の男の名前を呼ぶんじゃねえよ。そこはうっとり甘く、俺が生まれてきたことに感謝しながら『ジン』ってささやくところだろうが」

「もう私のこと、嫌いかな。そうだよね。黙って出てきちゃったもんね……」


 並走するトンカチと顔を見合せ、ジンがため息をついたことも、後ろをついてくるシャルルが申し訳なさそうに鳴いたことも、フィオの耳には入っていなかった。

 フィオはベルフォーレ特保国までの旅程一切を、ジンとトンカチに世話されていた。それこそ荷造りから休憩時間配分、食事や宿の確保までだ。

 さらにシャルルにひとりで騎乗することは許されず、ジンのギョロメとトンカチのマシュマロに交代で同乗した。理由を尋ねれば、


『鏡でその顔を見てこい!』


と言われた。見たが、よくわからない。

 だがフィオは、まあいいかで片づけた。ただドラゴンに乗っていればいい旅は、楽チンで快適だ。それに乗り手と違って素直なギョロメとマシュマロと遊んだり、シャルルにやきもちを焼かれたりすることは、フィオの心を大いに癒した。


「荷物は運んでおいてやった。これは鍵だ。いいか? お前のコテージはプリモ・ファルコ区十六番地だからな。復唱しろ。ぷ、り、も、ふぁ、る、こ」

「十六番地。わかるよ、それくらい。間違えないってば」

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