189 さよなら①

 なんだかピリピリしているヴィオラに、内心で首をひねる。

 彼女からジョットを遠ざけるように、キースは海岸を歩き出した。「シャンディに寄り道したこと、まだ根に持ってるんだ」と、こっそり耳打ちしてくる。


「ちょうどよかった。俺もジョットに話したいことがあるんだ」


 波打ち際まで来たところで、キースに先を越された。そのことに安堵を覚えた自分がもどかしくて、手のひらのイヤリング型伝心石を握り締める。

 水が嫌なのか、ジェネラスは一歩下がって水平線を眺めるキースを見守っていた。


「……フィオのこと、頼む」

「な、んですかそれ。どういう意味だ」

「お前、フィオのこと好きなんだろ。ファンとか友だち以上に。だからまあ、妹をよろしくってことだ。兄としてな」

「兄だと?」


 風車小屋の夜、キースに突き放され声を殺して泣いていたフィオを思い出す。ドルベガのカフェバーでも、海上宿船〈バレイアファミリア〉でも、フィオは切なさを秘めた目でキースを見ていた。

 ジョットがなり振り構わず欲しがった、最後まで手に入らなかった、熱にうるんだ瞳。それをひとり占めしておいて、まだ見て見ぬふりをする男に、ジョットは掴みかかる。


「あんた、俺にそんなこと言う前に話すべきことがあるだろ!? あの人に!」

「話した。全部。俺のどうしようもない劣情も、それに矛盾した家族愛も」


 胸倉をわし掴みにされても、キースは動じなかった。嵐のあと、洗い流された夕空のような目をして、ジョットをまっすぐ見る。


「あいつは受けとめてくれた。きっとこれからは、ちゃんと兄妹きょうだいになれる。俺はフィオにとって、万が一落ちそうになった時の受け皿だ。でもそこに落ちないよう、あいつを支える風はジョット、お前しかいない。俺の分までフィオのそばに寄り添ってやってくれ」

「そばに、寄り添って……?」


 体中から力が抜けて、ジョットはだらりと腕を投げ出した。キースの目からおだやかな光が消え、怪訝けげんに曇る。

 もう遅い。なにもかも。

 キースを通して返してもらうはずだった伝心石ごと、ジョットは拳を彼の胸に突き出した。


「俺には、できない。俺はもうフィオさんのナビじゃない。それに俺には……婚約者がいるんだ」


 砕けた波がそっとふたりの足元を滑る。


「その婚約は、お前も納得してるのか」


 ジョットはキースをにらみつけた。キースもすぐに失言を「悪い」と謝る。

 ピュエルは勝気な性格で、金勘定も大ざっぱだ。そんなところが横柄に見えるが、気さくで気前がいいとも言える。

 悪い人ではない。いや、この評価はひかえめ過ぎる。

 平凡な身分と才能しか持たないジョットには、もったいない相手だった。加えて、拒絶反応が起きない同い歳という幸運。間違いなく、ジョットの人生で一番すばらしい良縁だ。


「そう、か。それは残念だ。あいつはやっと、お前の執着に答えを見出だせたと思っていたんだが」

「答え?」


 つい聞き返してしまってから、ジョットはしまったと思った。目を細めるキースを見て、これは“誘い”だったと確信する。

 伝心石を渡して終わらせに来たのに、墓穴を掘った。そうと知っても足は、立ち去ろうとしない。


「フィオはずっと自分に問いかけてる。母親の命を奪って生まれてきた自分は、愛されていいのか? 父親に置き去りにされた自分は、愛されていたのか? 永遠に埋まらないその答えを、ロードスターに求めた。スターになって、みんなから愛されようとしてるんだ」

「それが、フィオさんがあんなになってまで飛ぶ理由……」

「それだけじゃない。人は、自分のためだけにそこまで強くなれないからな。まあこの先は、俺の口から聞いても仕方ないだろ」


 そう言ってキースは手を差し出した。ジョットが握り締めているものに気づいていたらしい。とっさに駄々をこねる心を叱咤して、ジョットはそろそろと腕を持ち上げる。

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