188 お屋敷の朝②

 どこかのナイト・センテリュオと違って、食べ物をねだりにも来ない上品な性格だ。

 幼い頃から、自分の相棒ドラゴンはどんな姿だろうと、何度も想像してきた。街中のドラゴンを指さしては、あれがいいこっちもいいと胸が弾んだ。

 相応しさなど、今も昔もわからない。けれどこの目はこれからもきっと、あの黒い竜影りゅうえいを追いかけつづける。


「シュン・レイなんてどうかしら! 緑と青のウロコで、美しいドラゴンなの。この前観たバトルライダーが連れていてね、俊敏な動きと雷を操る二本の角が――」

「ピュエル。そのパン半分くれないか」

「え?」


 固まった彼女の前にある皿を指して、ジョットはそれだと示す。ピュエルの分だともちろんわかっていたし、網かごにはまだたくさんパンが盛りつけられていることも知っていた。


「ふふっ。ジョットったら、食べ盛りなのね」


 意味を理解してピュエルは微笑んだ。布ナプキンを手に、自分のパンと網かごのパンをひとつずつ、ジョットの皿に乗せる。

 しかしそれは、ジョットが望む答えではなかった。


「そうじゃない。半分でいいんだ」

「たくさんあるんだから、どれだけ食べてもいいわよ。食べきれなかったら捨てればいいんだから」


 違う、と言いかけてジョットは口をつぐむ。

 ピュエルに自分とひとつのものを共有する気があるのか、知りたかった。割ったパンの少しでも大きいほうをくれるような愛情があるのか、試したかった。

 けれどそれは、ジョットとピュエルの価値観の相違を突きつけただけでなく、未練がましい心を浮き彫りにする虚しい行為でしかない。


――あなたは食べなきゃダメでしょ。おかわりもするの!


 フィオさんなら、シャルルなら。

 その思考にはなんの意味もない。こんな、なんでもない言葉ばかりを覚えている頭と同じ、くだらない。


「ピュエル、ごめん。午前の予定は午後に回して」

「え、でも……」


 グラスの水一滴まで飲み干して、ジョットは席を立った。戸惑うピュエルの顔を見れば足が鈍りそうで、うつむいて扉へ向かう。


「ちょっと出てくる。家に忘れ物があるんだ」


 彼女を傷つけたいわけじゃない思いで、言い訳をつけ足した。なにも言わなかったピュエルには、見破られていたかもしれない。

 使用人として働いていた時から熟知している廊下を歩き、裏口へ向かう。庭に出て、併設する竜舎へ木道を進んだ。

 箱型のゴンドラと呼ばれる客室を洗っていた屋敷つきのライダーは、ジョットを見て慌てて湧水ゆうすい石を止めた。


「今から出たいから、ドラゴンだけでも貸してくれ」

「とんでもない。向こうに洗い終えたゴンドラがあります。すぐにご用意しますのでしばしお待ちを!」


 寂しさを込めた目で、ジョットはライダーの背を見送った。同僚だった頃は気さくに話していたはずなのに、とても遠い昔のことのように感じる。

 さて仕事か、と起きた植物科ヌー・ムーが、バサリと翼を広げた。


「風を感じたかったな」




 幸か不幸か、ナビとして使っていたイヤリング型伝心石は、ジョットの手元に残った。フィオはレース後、すぐ競技場コロセウムを出ていってしまったため、返す暇がなかっただけとも言える。

 その通信機でジョットはキースに連絡を入れた。練習中に何度か見かけた彼は、これからシャンディ諸島国を発つところだと言う。少し寄り道になるが、キースは競技場コロセウム前の海岸で落ち合うことを快諾してくれた。


「どうした、ジョット。なんか雰囲気変わったな」


 ナビのヴィオラを後ろに乗せ、リルプチ島の方角から飛んできたキースは、ジョットを見るなりそう言った。

 白いブラウスにベスト、ひざ丈のパンツにハイソックスを合わせた格好は、ジョットも柄ではないと思っている。これは上流階級様の趣味だ。

 あいさつもそこそこに、ジョットはヴィオラへ頭を下げる。


「すみません。少しキースを借りていいですか?」

「……手短にお願いね」

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