185 あふれる想い①

 ジョットはひどく取り乱し、まったくらちが明かなかった。心苦しいが、フィオはジョットによるナビを諦めて、レースに意識を向ける。

 四つ目の島から五つ目の島までは、目と鼻の先だ。ライフルを携えて、サッと弾を確認する。シャルルはやはり快調とはいかないが、前を飛ぶ植物科ドレス・ローズに食らいついていた。

 だいじょうぶ。この距離は私が仕留める。

 黄色い飛跳石が逃げ回る最後の障壁区画ジャマーゾーンへ、フィオは飛び込んでいく。


「シャルル、狙え!」


 勝ちたいとフィオを叩いた相棒を信じて、命令する。シャルルはすぐに狙いを定めた。頭部から首をピンと張り、一瞬もぶれることなく標的を追いかける。

 前のドレス・ローズが石を仕留め損ねて、身をひるがえしてきた。フィオは口角がつり上がる。そのまま壁になってくれれば、こちらの飛跳石を追い込める。

 フィオの考えを察して、シャルルはライバルの横腹目がけて獲物を誘導した。


「どうせ痛むなら、とことん痛めばいいんだ」


 油汗を拭って、銃床を肩に押しつける。痛みが原始的な怒りを引きずり出し、今この瞬間以外どうでもよくなった。勝利への執念と破壊衝動に駆られ、引鉄を絞る。


『あなたが大事なんだ』

『誰よりも守りたい』

『幸せでいて欲しい』

『なんて言われようと放っておけない』


 染料弾は飛跳石をかすめて、ドレス・ローズの脚に当たった。今の声はジョットだ。フィオは荒々しく舌打ちしながら、シャルルに次の標的を探させる。


「なに考えてんだこのバカガキ! 黙ってろ!」

『は? なにも言ってないですよ。どうせ聞いてくれないんでしょ』


 返ってきたジョットの声は、先ほどのものと少し様子が違う。どういうことか整理をつける間もなく、シャルルが次の石を追いかけはじめた。フィオはすぐさま射撃姿勢に入る。


『あなたがいなきゃ意味がない』

『どんな景色もつまらない』

『どんなごちそうも味気ない』

『ダンスをしても心は動かない』


 弾は外れた。つづけて撃った二発目もかすりもしない。シャルルが困惑の声を上げる。

 とめどなく流れてくるこの声は、ジョットの心音こころねだ。


「うる、さいよ、それ。止めてよ」

『知らない喋ってない。俺にだってどうしようも……!』


 上ずる声を噛み殺し、苦しげな息遣いが鼓膜を震わせる。フィオは予備の染料弾を装填した。

 後続は追いついてきたのか。ジンやサントスはまだ区画内にいるのか。浮かんでくる思考は、なにも導き出せないまま散っていく。

 フィオを鼓舞するシャルルの声だけを頼りに、銃を握りつづけた。


『好き』

『フィオさん』

『フィオさん』

『好き』

『好き』

『好き』


 最後にようやく当たった弾は、視界がにじんでよく見えなかった。




 競技場コロセウムの観客は沸いていた。ヒュゼッペレースにつづき王者らしい飛行を見せて優勝したハーディと、わずか一秒差という接戦で二位に輝いたパピヨンを称え、紙吹雪が舞う。

 そして三位のジンと四位のサントスにも、ファンから最終レース進出を祝う声が、惜しみなく注がれた。

 フィオが来た時にはもう、その状態だった。実況席の後ろに掲げられた板には、“フィオ・ベネット十一位”と書かれている。障壁区画ジャマーゾーンで大きく順位を下げ、ゴール前にもひとりに抜かされた。

 シャルルが、か細い声でフィオを呼ぶ。


「ごめん、シャルル。疲れたね。休まないと」


 頭ではわかっていたが、なぜか体が動かなかった。手足に力が入らず、鉛が詰まったように重い。

 そもそも、どこに下りるというのか。誰も彼もが上位入賞者を見つめ、その後ろを走っていた者のことなど忘れている。

 唯一、フィオの味方だったジョットとは、これっきりだと約束した。そこはもうフィオの帰る場所ではない。


「でも、せめてお礼くらいは……」


 フィオはのろのろと観客席の最下段に目を向ける。


「あ……」

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