176 舞い踊る二頭の蝶②

 その時、シャルルの切羽詰まった声が耳に飛び込んできた。


「旋回!」


 斜め後方から迫るジェネラスが見え、慌てて進路を変える。だがその先は砂浜で、フィオはやられたと顔をしかめた。

 防風林の向こうは住宅街だ。ドラゴンに乗った通行人に迷惑がかかる。となれば、フィオが取れる選択肢は右か左かのどちらか。

 少しでも惑わそうと、フィオは左へ行くと見せかけ右旋回する。しかしキースはそれも読み、間髪遅れずついてきた。

 防風林へ押さえつけるようにして、並走するジェネラスがじりじり近づく。


「また俺の勝ちだな」


 フィオの腰から棚引くリボンをキースの手が捕らえた。

 アンダルトで手紙の仕分け勝負をしたことが、脳裏をかすめる。フィオがキースに勝てることと言ったら、ドラゴンレースと射撃くらい。勉強も運動も、振る舞いも考え方も、キースは常に一歩先をいっていた。

 時には勝ってもすっきりしなくて、フィオを褒める余裕のある彼との差が、果てしなく遠く感じた。

 たった一年。けれどけして埋めることはできない絶対的な時だけが、ふたりを兄妹と引き裂く。


「まだだよ、キース」


 しゅるりとほどかれていくリボンの感触を感じながら、フィオはシャルルに体当たりを命じた。

 銀にぶつかっていく黒、もつれ合う双翼、交わる視線。隔たりのなくなった距離を渡り、フィオは時を超えようと挑みかかる。

 飛び移ってきたフィオを見上げ、こぼれんばかりに見開かれたワイン色の瞳ごと、キースを抱き締めた。


「好きです、キース。あなたのことが、たとえ罪と咎められようと忘れられません」


 頬を打つ風がやみ、ジェネラスの羽ばたきがゆるやかになった。キースの肩越しに見た空は、夜のとばりが降りて、月明かりが世界の輪郭をぼんやり浮かび上がらせる。

 人もドラゴンも帰路に着き、波音だけが響く砂浜に、ジェネラスはそっと降り立った。

 するとフィオは赤子のように抱えられて、ドラゴンから降ろされる。そのまま、まだ太陽の熱が残るあたたかい砂の上に横たえられた。


「キース?」


 そしてキースが覆いかぶさってくる。


「お前はなにもわかってない」

「なに……? あ……っ」


 月影よりも濃い闇に閉じ込められ、不安が過る。突如、首筋に触れた感触にフィオは震えた。それはゆっくりと肌を這い、ワンピースのひもの結び目を見つけるとほどいてしまう。


「待って。キース、やめて。んっ」


 自分よりもずっと硬く節くれ立った手が、髪を掻き分けひもを払い、素肌をさらす。彼のぬくもりを想像したこともあるが、突然のことに心が追いつかない。

 思わずよじった体をひざで挟まれ、背けようとした顔は後頭部を抱えた腕に阻まれる。覗いたキースの目は、いつもより朱が差して見え、視線さえ絡め取られた。


「俺がどんな思いで、ずっとお前を見てきたか……」


 かすれた声をこぼして、キースの顔が沈む。うなじに唇が触れて、フィオの腰は勝手に跳ねた。

 戸惑っているうちにキースの唇は肌をなで上げ、軽くみ、吐息で湿らせる。肌と肌が吸いつくようになじみ、体温が溶け合ったそこへ舌が這わされた。


「キース……!」


 瞬間、フィオの首がカッと燃え上がる。おずおずとなぞるだけだった彼の動きは、次第に大きく舐め上げるものへ変わる。

 視界の端でキースの頭がうごめく度、みだらな水音が耳を犯した。哀れな獲物が捕食者に食われる時、最期に見る光景はきっとこれだろう。

 肩を押し返そうとするフィオを叱るように、キースはだ液ごときつく肌を吸った。


「は……っ。お前のこと、一度も義妹だなんて思ったことはない。ずっと、ずっと見てたそれこそ、家族になる前から」


 そこだけ感覚の鈍くなったうなじをなでられる。少し冷たいキースの指は震えていた。


「なのに、今日から義妹だと言われた。俺のこの想いは、間違いだと決めつけられた。両親は、俺が兄らしく振る舞うと喜ぶようになった。これが正解だと、理解してしまった! それ以外許されなくなった……!」

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