175 舞い踊る二頭の蝶①

「そう。昔よくやったやつ」

「まさかジェネラスとシャルルに乗って、って言うんじゃないだろうな」


 昔よくやっていたやつと言えば、もちろんドラゴン騎乗版だ。フィオは大きくうなずいた。


「バカか! そんな格好でドラゴンに乗れるわけないだろ!」

「だいじょうぶだよ。レースみたいに本気でやらないから。一応下はいてるし」


 ね、と念を押してもキースは難しい顔を崩さない。フィオはめんどくさくなって、さっさとリボンを結んでしまうことにした。

 にらまれたが、大きな抵抗はない。子どもの頃よりもたくましく、しかし引き締まったキースの腰に目を奪われそうになり、笑って誤魔化した。


「なんで急にチョウチョ取りなんだ」


 自分のリボンも結んでいると、キースが憮然ぶぜんと言う。フィオはなんてことはない仮面の下に本音を隠した。


「ちょうどいい長さのリボンがふたつあったから。じゃあ十数えたらはじまりだからね!」


 リボンを結びはじめた時から、シャルルは低く構えて待っていた。その背にスカートの裾も気にせず跨がり、ハンドルを握る。

 それを合図にして、相棒は砂を舞い上げ一切の淀みなく夕空へ飛び立った。


「あ! レースに出てた黒いドラゴン!」


 子どもたちが声を上げた。指をさすその姿がはっきり見える程度に高度を留め、迷惑にならない海へ出る。

 さて。キースがもうすぐ来るかな。

 振り返って確認しようとした瞬間、シャルルが速度を上げた。ぶわりと広がったフィオの髪をかすめて、ジェネラスが通り抜けていく。


「こら! 十秒数えてって言ったでしょ!」

「それはお前が子どもだったから、手加減してやった時間だ。もういらないだろ?」


 すぐに旋回してきながら、キースはいけしゃあしゃあとのたまう。

 一歳しか変わらないのに、大人も子どももあるものか。フィオはシャルルに下降させて、詰められた距離を離しにかかる。

 後ろに向かってベッと舌を出すことも忘れない。


「負けず嫌い!」

「どっちが」


 遊びのはずが、ほとんどレースと同じ速度で迫ってくるキースのことに決まっている。

 海面を滑るように飛ぶシャルルに、ジェネラスはぴたりと後ろへつけた。しかもわずかに上を取って、高度を上げられないよう牽制けんせいをかけてくる。

 右に左に揺れ、フィオはなんとか追跡を掻い潜ろうとするが、隙がなかった。

 それなら、と唇を舐める。


「シャルル、速度を落として!」


 フィオの企みを違えず受け取ったシャルルは、身を傾けながら急激に速度をゆるめた。怯んだジェネラスとキースが横に並んだ瞬間、翼で海水を弾き飛ばす。


「うわっ!? 冷た!」


 とっさに顔をかばったキースの上を取り、フィオは伸しかかるように迫った。


「ジェネラス、加速して上昇!」


 惜しい。暴れるリボンに翻弄ほんろうされているうちに、キースは速度をつけて逃れた。フィオもすぐさま、あとを追って飛翔する。

 昼と夜が交わる藍色の空へ、薄桃色に染まる雲を割って飛び込んでいく。互いに後ろを取られまいと駆け引きする二頭のドラゴンは、銀と黒がくるくると交差し、寄せては返す。

 そろそろ帰ろうと腰を上げた夫婦がそれを見て「まるでダンスね」と笑っていることなど知らず、フィオはキースを、キースはフィオを、見つめていた。


「ジェネラス、ひねり込みだ!」


 攻防の末、フィオがようやく後ろを取ったと思った矢先だ。目の前でジェネラスが大きく体を反らし、一回転する。そしてシャルルの後ろへすとんと収まった。


「なにその技!」

「お前はやめとけ。スカートだし、足の負担が大きいぞ」


 フィオは言い返せず、唇を噛む。足のことは今さらだが、宙返りしてスカートが顔までめくれ上がるのはさすがに嫌だ。


「やっぱりこんな格好、私には合ってない」


 とたん、込み上げてきた寂しさに心が捕らわれる。

 だから私はいつまでも妹なの?

 ヴィオラのように、唇にキスはしてもらえないの?

 血は繋がっていないのに。家族になってと頼んだ覚えもないのに。兄妹きょうだいという枠に押し込められてなお消せなかったこの想いは、罪ですか。

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