173 乙女の覚悟①

「ジョット様あー! お迎えに上がりましたよおー!」


 ピュエルの従者その一だ。来るのをただ待つだけではないあたり、お嬢様はジョットをよく理解している。


「こうなったら俺はいないってことで!」


 玄関を気にしつつ、ジョットは部屋に入ってきた。窓辺の束ねたカーテンに目をつけて、潜り込もうとする。

 すると、窓にぬっとドラゴンの頭が現れた。ヴェル・スカルロットの赤い目玉が、ジョットのいんちき現場を押さえる。


「あああああっ! フィオさああああんっ!」

「いってらっしゃーい。楽しんできてね」


 ドラゴンにくわえられ回収されたジョットを見送り、フィオは息をつく。ビッケスとペギーからは不満げな目をされたが、これでいいのだ。

 大人になれば少年も理解する。どちらが幸せか。どちらがより豊かで、素晴らしい人生を歩めるか。

 いや、二年待たずとも一時的な熱が冷めれば、案外あっさりどうとも思わなくなっているに違いない。


「ジョットくんがいないなら、ちょうどいいや。連絡しよ」


 手の中で持て余していた伝心石を起動させて、フィオは相手が出るのを待った。


「ペギー、ごめん。ちょっと頼みがあるんだけど、いい?」


 せっせと食卓の準備をしていたペギーは、フィオに呼ばれて首をかしげた。〈夕凪亭〉にもレースのために予約を取っていた客が見えはじめ、宿は日に日に忙しくなっている。

 そんな中、長く引き止めるわけにはいかないと、フィオはさっそく本題を切り出した。


「ワンピース、ないかな? できれば足首くらいの長い丈のやつ。あと長めのリボンも」

「リボンは贈り物用のがあるよ。でもワンピースはねえ……」


 不思議そうな顔をしながらも、答えてくれるペギーに感謝する。だがワンピースは難しいとフィオもわかっていた。小柄なペギーとは十センチほど身長差がある。

 もちろんフィオも自分のトランクケースをひっくり返して探した。しかしスカートどころか、しゃれた外出着さえない。レースライダーならパンツ一択だし、汚れたり破れたりすることを思えば、華美なものはもったいなかった。

 その習慣に疑問さえ持たなかったフィオだが、今は少し後悔している。


「あっ、そうだ。ひとつだけ着られそうなのがあるよ! ちょっと待ってて」


 そう言っていったん離れの居住区に向かったペギーは、くすんだ桃色のワンピースを抱えて戻ってきた。


「これね、首のとこのひもで調節できるの。後ろのホック閉めてあげるから、今着てみて」


 ペギーの言葉に甘えて、フィオは自室でさっそく着替える。ひもは黒色で、首に巻きつける分を短めにすればフィオにも着ることができた。リボン結びにしたひもの先端が、剥き出しの背中に触れてくすぐったい。


「これ、露出し過ぎじゃないかな?」


 腰のホックを閉め、ファスナーを引き上げたペギーは、フィオの尻を叩いた。


「なあに言ってるの。シャンディの娘はこれくらい普通よ。化粧道具と装身具は? なければ持ってくるよ」

「いいの、そこまでは」

「え。でもお屋敷に行くんでしょ?」


 フィオは目をきょとんと瞬かせ、すぐに合点がいき笑った。どうやらペギーは、リヴァイアンドロス家の夕食会に乗り込むつもりでいたらしい。

 そんな気概があるのなら、シャルルをヴェル・スカルロットにけしかけさせてでも、ジョットを行かせはしない。


「ごめんね、ペギー。期待には応えられないけど、これも前へ進むためには必要なことなんだ。ひと晩だけ、借りてもいいかな?」

「そりゃ構わないけど、でも……」


 贈答用の赤いリボンを芯ごと差し出しながら、ペギーは口ごもる。フィオはにわかに、自分が今どんな顔をしているか自信がなくなった。

 隠れるようにうつむいて、はさみでリボンを長めに二本切る。


「夕飯は、どうする?」


 ペギーが話題を変えてくれたことは幸いだった。


「私の分はいいよ。遅くなるかもしれないから。シャルルのお肉だけ取っておいて」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る