168 運命なんかじゃない③

 ヂリヂリと焦げつく心に舌打ちして、フィオはジョットの手を掴み上げた。そのまま身をひるがえし、怯える彼の手を胸に押し当てさせる。


「私の心を覗いてごらんよ。ジョットくんならわかるでしょ。私が誰を想っているか」

「あ……」


 ん? と金の目をひたと見据える。いつも無邪気に、狂信的に、フィオだけを映していた目が揺れ、さ迷った。

 知りたい。知りたくない。

 複雑なジョットの意識は、フィオの核心の周りをうろつくばかりで、暴こうとはしなかった。


「ジョットくん」


 ひくりと震えた手を放してやって、フィオはおだやかに微笑む。


「ここでお別れしよう」


 ついに告げた終わりの言葉は、フィオ自身も打ちのめした。見開かれたジョットの目が、みるみる濁っていく様を直視できず、うつむく。


「私はキースに告白して幸せになるから、ジョットくんもピュエルと仲よくしなよ。お似合いだよ、あの子。お嬢様気質だけど、ジョットくんを想う気持ちは本当だと思う。私のことは……忘れて、さ」


 ゆっくりと歩き出し、すれ違い様ジョットの肩を叩こうとした。そのせつな、ピュエルに抱きつかれても平然としていた姿が過り、手を引く。

 扉へ向かう途中、目に入ったふたつのレモネードはすっかり汗をかき、溺れたコースターはもう元通りにはならなそうだった。


『幸せになれるなんて、思ってもないくせに』


 キンと耳鳴りがするほど強いジョットの思念が飛んでくる。フィオは思わず足を止めた。


『いきなり入ってこないで』

『ねえ、心を閉ざさないで』

『この関係は間違いだった』

『正しさなんか求めてない』

『わかるでしょ。これがお互いのため』

『そんなこと言ってあなた、俺の幸せしか考えてない』

『私に怯えるあなたを見てられないの』

『強くなれます。フィオさんとなら』


 燃え盛る炎。離れたぬくもり。遠ざかる背中。落ちたアイスクリーム。

 もう二度と、あんな思いをしないためにはどうしたらいい?


「ごめんね、ジョットくん」


 振り返り、こんな自分を求めてくれた彼を見たとたん、涙がにじんだ。けれど気づかないふりをして、強張りそうな頬をほころばせる。


「私が、強くなれない。置き去りにされるのはもう、嫌なの」


 最初から誰も近づけなければいいんだ。

 背を向けてから目元をグッと払い、フィオは部屋を出た。すると人影がふたつ、ドタドタと階段口まで逃げ出す。

 ビッケスは突然壁の絵を褒めはじめ、ペギーはエプロンで手すりを拭いていた。

 まったく、とフィオは夫婦に腕を組んでみせた。だが、それだけジョットが愛されている証だと思えば、胸があたたかくなる。

 ジョットを引き取ってくれたのが彼らでよかった。そう思っていると、背後の扉が勢いよく開いた。


「フィオさん!」


 声とともに腕を掴まれ、振り向かされる。フィオ以上に驚いているのが、ビッケスとペギーだった。

 しかしジョットは構わず、まっすぐにフィオを見上げる。


「せめて、せめてシャンディレースが終わるまでは、ナビでいていいですよね? このままじゃ俺はやりきれません……!」


 それは悪あがきか、なにかの策か。意識を向けてみても、ジョットの心は強風吹き荒れる嵐で、読み取ることはできない。

 どのみち、ここで未練を残すことは、ピュエルとの未来に影を落としかねなかった。


「わかった。最後のレース、勝って終わろう」

「俺、ピュエルに話つけてきます」


 ジョットは喜ぶでも安堵するでもなく、硬い表情だった。「義母さん、エヴァン貸して!」とペギーに断りを入れながら、階段を駆け下りていく。

 竜舍のほうから植物科ドレス・ローズの声が応えていた。


「フィオちゃん。ジョットと組むのやめちゃうの?」


 息子の背を見送って、ペギーはそろりとフィオの顔をうかがった。フィオは黙ってうなずく。


「あのね、フィオちゃんは自覚しづらいと思うけど、ジョットは年上の女性見たらいつもこうっ。こんなんだからね!」

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