167 運命なんかじゃない②

 決定的な言葉を投げつけようとして、だが、急激に息がつづかなくなった。フィオは胸をあえがせ、ベッドに爪を立て、わずかな酸素を吐き出す。


「私はっ、あなたの運命なんかじゃない!」


 コンッコンッ。

 ひかえめなノック音が場に響く。フィオもジョットも我に返って、鼻先が触れそうだった距離を離した。

 フィオが返事すると、ペギーがトレーに飲み物を乗せて現れる。


「ごめんなさいねえ、お話の途中で。のど渇いたかしらと思って。これ、自家製のレモネード。フィオちゃん気に入ってくれてたわよね」


 こげ茶色のソバージュを揺らしながら、ペギーはチェストの上にコースターとグラスを置いた。米神に差した赤い花のように、にこにこと陽気を振りまいてその場に佇む。

 えっ、戻らないんですか?

 この時ばかりは交信せずとも、フィオとジョットの心はひとつになった。


「お、おいっ。お前! こっちこっち。戻ってこい!」


 扉の隙間から毛深い腕が生えて、ペギーを呼び戻す。十中八九、夫のビッケスだ。飲み物を運ぶだけでなぜ主人までついてくるのかと、フィオは扉越しに胡乱うろんな目を向ける。


「だって、ふたりが心配で……っ」

「わかってるよ、かわい子ちゃん。でもお前がいちゃ話しづらいだろ」


 渋々引っ込んだペギーと入れ替わりに、団子鼻のビッケスが顔を出す。天然パーマの黒髪を掻きながら、主人は取ってつけたような笑みを浮かべた。


「失礼しましたあ。さ、つづきをどうぞ。えへへへへ」


 閉まった扉にフィオは遠慮なくため息を吐きかける。ビッケスの料理もペギーの気遣いも景色も、最高の宿だがいかんせん、お節介と万年新婚夫婦っぷりは、少々暑苦しかった。


「フィオさんが運命じゃないって言うのは――」

「ちょ! 今のアレからよく話を戻そうとするね!?」

「知ってます? あれ、俺の両親」

「あ、はい。日常茶飯事なんですね」


 フィオはどうしても廊下が気になって、窓辺へと立った。防風林の緑と白い砂浜、淡い緑青ろくしょう色の波を眺める。


「それはジョットくんのほうがわかってるでしょ。震えてるくせに、無理しちゃって。さっきだって、ピュエルにそう言われて否定しなかった」

「当たり前だ! フィオさんだから無理もできるんです!」


 トンッと背中に軽い衝撃が当たり、ぬくもりがフィオを包んだ。腰に回った腕をフィオはすぐに外させようとしたが、ぎゅっと強く締められて、手を添えるだけに終わる。

 ずっと、ずっと、こうしてふたり旅をしてきた。言葉より心の声より、このぬくもりがフィオの胸に鮮烈に響く。


「俺、介助だってなんだって喜んでやりますよ! どんな苦労したっていい。フィオさんといることが俺の幸せだから! 裕福な暮らしも、気兼ねなく触れ合える相手もいらないっ。欲しいのはフィオさんだけ! あなた以外なにもいらない……!」


 もし――。

 もしもフィオが、あと十三年遅く生まれていたら。

 もしもジョットが、なんの変哲もない幼少期を過ごしていたら。

 もしも明日にも、この足の治療法が見つかったと報じられるのなら。

 自分の思考にフィオはひそりと笑う。そんな雲を掴むような話は、時空を超えでもしない限りあり得ない。

 腹の上にあるジョットの手をぽんと打ちながら、フィオは努めて明るく言った。


「ジョットくんさ、肝心なこと忘れてるよ。私はキースが好きなんだよ?」

「ウソだ!」


 頭突きをしたのか、重い一撃が背中を叩く。


「船の舞踏会でいい感じだったし、汗拭きながら俺をエロい目で見てたじゃないですかあー!」

「げほっ! ごほっ! ごほっ、ぐ……!」

「フィオさん俺のこと絶対好きでしょ!? ぶっちゃけかなり揺れ動いてますよね!? だってその気になればいつだって突き返せたのに、そうしなかった……! 置いていければよかったと言ったあなたに、俺を置き去りにすることができますか!?」

「……ああ、そう。だったら」

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