165 拝謁 島主令嬢②

 ゆえに、野生でも滅多にお目にかかれない種であるが、フィオは部屋を半分埋め尽くしているドラゴンに苦笑いした。


「あの、この宿はドラゴン連れ込み禁止なんだけど」


 ドラゴンは隣の竜舍に預けるのが〈夕凪亭〉の決まりだ。


「わかっていますわ。でもいいでしょ? エクセレはきちんと足を拭きましたし、主人に倍のお金を支払っています。なにか問題がありまして?」

「いや、建物の耐久度と湿気でカビが生える心配があるよね」

「まあ。ジョットみたいに細かいこと気になさるのね。いいわ。それほど時間は取らせませんから。手短にいきましょ」


 ピュエルはフィオの前で腕を組み、片手に持った扇子を頬にあてた。


「ジョットから手を引いて、今後一切関わらないで頂きたいの」


 予想通りの要求にフィオは肩の力を抜く。

 そもそも成人が未成年の異性とふたり旅していることに、世間はいい顔をしない。婚約者ともなれば、なおさらだ。

 自惚れではなく、ジョットはフィオに傾倒し過ぎている。別れるなら、ひと筋の希望も残してはいけないとフィオも考えていた。


「この際だからはっきり言わせてもらいますわ」


 だが、つづくピュエルの言葉にフィオは目を見張る。


「あなたといっしょにいることは、ジョットにとって悪影響でしかないの。彼はやさしいから言わなかったでしょうけど、本当は苦痛を感じていますのよ」

「は……。なに言ってるの。成人の私が彼の相手に相応しくないことはわかってる。でもライダーとナビとして、私たちはいい仲間だった。それだけはあなたにも誰にも、否定させない」

「ベネットさんは、ジョットの過去についてどこまで存じていて?」


 唐突に話を変えられて、面食らう。

 ジョットの過去と言えば、実の両親から虐待ぎゃくたいを受けていたことだろう。ピュエルの意図を探りつつ、フィオは重い口を開く。


「虐待のことなら知ってる。両親に追いかけられていたところに、私は居合わせた。体のアザも見てる」

「それだけですの?」

「だけ……?」


 一瞬、ピュエルの言っていることが理解できなかった。瞠目どうもくするフィオに、ピュエルは苛立ったような目を向ける。しかしすぐに伏せて、痛みを堪えるように眉を寄せた。


「ジョットは父親から暴力を受けていましたけれど、母親からは別の虐待を受けていましたのよ。そのせいで今も、年上の女性に触られることを恐れていますの……」


 フィオは息を呑み口を覆った。

 はじめて会った時のペギーや、ファース村の女主人ティアから、距離を取っていたジョットの姿を思い返す。平気だと言ったフィオにさえ、かすかに震えていた。

 セノーテで汗を拭いた時もそうだ。嫌がる腕、緊張した声、敏感な肌、色を帯びた吐息。そのすべてが物語る。

 怒りでフィオは首まで熱くなった。ドキッとしたなんて言った自分を殴りたい。震えていた彼は、母親との望まぬ行為で植えつけられた痛みに、苦しんでいたのだ。


「でもそのトラウマも、同い歳か年下の女性相手なら平気ですのよ。これがどういうことかわかって? ベネットさん。身も心も、ついでに世間体も、わたくしのほうが彼に相応しいということですわ」


 扇子で太ももを軽く打ち、ピュエルはエクセレを呼びつけた。とぐろを巻くように寄り添うエクセレに、横向きで乗る。

 パッと開いた扇子越しに、ピュエルは哀れみを含んだ目でフィオを見た。


「確かにライダーとナビとして、ベネットさんとジョットは優れた仲間ですわ。でも、過去の傷も生まれた年も、どうしようもないこと。単にご縁がなかったと諦めてくださいまし」


 ギイギイと床板に悲鳴を上げさせながら、エクセレは扉へ向かってきた。ドラゴンとすれ違うことを想定していない間取りに行き場はなく、フィオはベッドに追いやられる。

 ごめんあそばせ、とピュエルが言ったのは押しのけたことに対してか。

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