164 拝謁 島主令嬢①

 こんなことをしても、時間はひと時だって待ってくれないことを、フィオは身をもって知っていた。


「ジョット様、おかえりなさいませ」

「ご無事にお戻りくださり、うれしく思います。誘拐事件につづきロワ種の暴走と、我々も気が気ではありませんでした」


 〈夕凪亭〉で待ち構えていたのは、ドルベガで遭遇した二人組みの男だった。今日はガルシア姉妹のシャツではなく、かっちりとした黒いスーツに身を包んでいる。

 かたわらにひかえる彼らのドラゴン、ヴェル・スカルロットとグラン・グラディウスも硬い空気を放っていた。


「ジョット……」


 男たちの後ろ、宿の玄関口にはコリンズ夫妻の姿もある。親子の再会を喜ぶ間も与えられないことに、義母ペギーはエプロンを握り締め、夫ビッケスと身を寄せ合っていた。


「お前ら、姿が見えないと思ったら先回りしていやがったのか。義父とうさんと義母かあさんにまで迷惑かけやがって。俺は帰るなんてひとことも言ってない」


 ジョットはシャルルから降りることもせず噛みつく。男のうちひとりが進み出てきて、恭しく頭を下げた。


「コリンズ氏にご迷惑をおかけしたことは、ピュエルお嬢様も不本意であります。どうかお許しくださいませ」

「ピュエルだと?」


 眉をひそめたジョットが二の句を告げるよりも早く、もうひとりの男が口を開いた。


「お嬢様はジョット様が心配で居ても立ってもいられず、こちらまでお出でになっておられます。つきましてはフィオ・ベネットさん、お嬢様があなたとお話をされたいと申しております。応じて頂けますか」

「はあ!? なんでフィオさんなんだ! 文句があるなら俺に言えよ! 俺が行ってやるから案内しろ!」


 降りようとするジョットを止め、フィオはシャルルから降りた。長距離移動で足の患部は疲弊しているが、歩けないほどの痛みではない。


「フィオさん待ってください! あなたが行くことはありません……!」

「どうして。先方は私をご指名だよ。ジョットくんはご両親にしっかり謝ること。心配かけたんだからね」


 フィオは半身振り返ったが、ジョットと目は合わせなかった。いや、合わせられなかった。

 不安そうなシャルルにだいじょうぶだと伝えて、先導する男たちについていく。玄関でコリンズ夫妻に会釈した。彼らはフィオにも気遣わしげな目を向けてくれた。

 広間や食堂を横目に、奥まったところにある階段を上がる。男たちが廊下を西へ折れた時、フィオは行き着く部屋がわかった。

 突き当たりの海に面した角部屋。ここはどの部屋よりも、美しい夕陽が見える。

 お嬢様が気に入りそうだ。


「お呼び立てしてごめんなさいね、ベネットさん。ご活躍はがねがね聞いていますわ。ルーメンでは残念でしたけれど」


 窓辺にしつらえたひとりがけソファに、少女が座っていた。赤い髪を上でふたつ結びにして、白いリボンを巻いている。緑の勝気な瞳でフィオを映すと、小麦色の頬に笑みを浮かべた。

 すくりと立ち上がった体は小柄で、ジョットと歳が変わらないように見える。オフショルダーの青いワンピースの裾が、ふわりと可憐に揺れた。

 だがなによりもフィオの目を引いたのは、室内を漂う霧だった。まるで白昼夢のように、あり得ない光景の原因を探して、少女の横のドラゴンに目を留める。


「まさか、ランセ・アクアティカ?」


 驚くフィオに、ピュエルはくすりと笑った。


「さすがレースライダーですね。わたくしのエクセレは希少な自然科で、その種類を言い当てられる方はほとんどおりませんのよ」


 ピュエルに頭をなでられて、エクセレは満足そうに目を閉じる。

 青い体を持つランセ・アクアティカは、長い胴体としっぽ、口元のひげが特徴的なドラゴンだ。爪の間には水かきがあり、水上を自在に移動できる。

 だが最も特筆すべきは、抜きん出たマナを操る力だ。通常、ドラゴンは翼で風のマナを使えるが、自然科はその限りではない。ランセ・アクアティカは水のマナを従え、霧を生み出すと言われていた。

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