163 シャンディ諸島国リルプチ島
「ねえキース。その思いやりがむしろ、フィオを傷つけてるのよ」
幼子をあやすような声で、ヴィオラはそっと肩に触れてきた。
「どういうことだ」
「あなたなら、とっくにわかっているでしょ。フィオがあなたに求めているのは、義兄の愛じゃない。女として見て欲しいのよ。キースが義兄として振る舞えば振る舞うほど、辛くなるだけ。やめましょうよ、お互いに不毛なことは」
淡い桃色に染まった爪先が、つうとキースの腕をなで下りる。光を艶やかに弾く磨かれた爪、花のように上品な香水の香り、しなやかな足を見せつけるスカート。
どれもがフィオにはなかった女らしさだと思いながら、キースは握り込まれる自分の手を黙って見ていた。
「きっぱり示すのもフィオのためよ。言葉で、態度で」
ヴィオラの言った「不毛」という言葉が、ぐるぐるとから回っていた。
ヒュゼッペで決別を告げた時、腕にすがりついてきた義妹の姿が浮かんでは消える。エルドラドでは、そんなひどい男の誘いにひょいひょい乗って、夜のカフェバーに現れた。
「だいじょうぶ、わかってくれるわ。フィオだってもう子どもじゃないのよ。はっきり拒絶すれば目を覚まして、ただの義妹に戻るわ」
「態度で、って言ったか?」
本当に不毛でしかない。いくら突き放しても諦めようとしないフィオも、
「そう。たとえば恋人を作るとかね?」
この会話も。
さらにすり寄ろうとするヴィオラの素振りを察して、キースは手を振りほどき立ち上がった。
「悪いが今はレースに集中したい」
ジェネラスを見てくる、とつけ足してさっさと部屋を出る。一歩踏み出したそばから、ひと晩中フィオを抱き締めて眠ったぬくもりを思い出している自分が
不毛だろう。義妹としか見れない相手を言いくるめて、海上宿船の大部屋を取り、堂々と隣で眠る理由を欲しがる男なんて。ゴールラインを怖がるレーサーのように、どうしようもない。
* * *
赤岩の街セノーテより南西に広がるコッカイ湖は、ルーメン古国と隣接するサン国との国境だ。湖からはセーリュ川が南へと流れている。
フィオとジョットを乗せたシャルルは、その清水に沿って海に出ると、点々とつづく飛び島を渡った。
最初の飛び島が見えた時点で、そこはシャンディ諸島国領だ。そして今、フィオの目には本島と呼ばれるレヴィ島の雄大な姿が映っていた。
「ジョットくん、脇腹痛くなってない?」
「ええ。痛みはもうほとんど……。フィオさんは手、だいじょうぶですか?」
「だいじょうぶだよ。なんともない」
移動中、幾度となく交わしたやり取りをくり返す。そこには互いに、拭いきれない緊張や不安が潜んでいた。
特にジョットは怯えている。懸命に普段通りを装っているが、故郷シャンディ諸島の話は口にしない。
旅の思い出ばかり話すジョットにつき合いながら、フィオもまた意識的に避けているものがあった。
はじまりに結んだ約束のことだ。どんなに引き延ばしても、どんなに惜しいと思っていても、シャンディに着いたら終わり。言い出したのはジョットだ。彼からこの約束を反故にすることはできない。
「……とりあえずリルプチに行こうか。宿を取ろう」
レヴィ島の北東に位置するリルプチ島は、本島に近い飛び島列島群のひとつだ。島主はリヴァイアンドロス家ではなく、飛び島をまとめる別の名家が担っている。
そして、ジョットの育ての親コリンズ夫妻が切り盛りする宿〈夕凪亭〉の所在地でもあった。
フィオはキースと旅していた時から、ここで世話になっている。今回もそのつもりで、シャルルに慣れた空路を指示した。とたん、腰に回ったジョットの腕が締まる。
「海側のさ、角部屋をいつも取っておいてくれるんだ。ジョットくんも隣の部屋、取りなよ。夕陽がすごくきれいに見えるよ」
ゴオゴオと言葉にならず、内側で響いていた彼の声が次第にやんでいく。この期に及んで、明確に終わりを告げられなかったフィオの背に、ジョットは鼻をすり寄せた。
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