第6章 永久の愛と別れ

162 キース・カーターの憂鬱

 次の行き先をシャンディ諸島にすると言った時、キースはヴィオラがこれほど怒るとは思っていなかった。


「だってあなた、ジェネラスは長距離向きじゃないし、温暖な気候は合わないからシャンディレースは見送るって言ったわよね」


 宿の広くはない部屋にヴィオラの声が響く。改めて自分の発言を突きつけられれば、彼女の反応も無理はないかとうなずいた。


「ああ。だがシャンディに行かないとは言っていない。次のレースにはハーディとパピヨンが出てくるはずだ。まだヒュゼッペでしか見れていない彼らのレースを分析する、またとない機会だ」


 それくらいわかるだろ。

 つづけようとした言葉を、キースは慌てて引っ込める。この言葉は旅がはじまって早々、ヴィオラに嫌がられた禁句だ。

 彼女は確かに聡明で研究熱心で、案外負けん気が強い。だが、今年の春までドラゴンレースのことは知識でしか知らなかった。

 それくらいわかっているのは、フィオだ。ライダーの経験と直感で、皆まで言わなくてもシャンディ諸島国に行く意図を察する。それを幼なじみにまで求めるのは、キースの悪い癖だった。

 ローテーブルに手をついて、ヴィオラはずいと身を乗り出してくる。


「確かにそれも大事だけど、早くベルフォーレ入りしたほうが利点が多くないかしら? 現地の気候にジェネラスを慣れさせられるし、コース研究もはかどる。なにより、シャンディとベルフォーレは南と北よ? 移動距離が大違い! ルーメンから向かえば半分で済む。そこにかける時間と労力の差は見過ごせないわ」

「レースに参加しない分、体力は温存できるし早く出発できる。それで十分だろう」

「そんなにあの子が心配なの」

「……なんの話だ」

「とぼけないで。ハーディたちの分析なんて建前で、本当は義妹いもうとを見守りたいだけでしょ」

「どっちも大事だ」


 至極まじめに返したら、盛大にため息をつかれた。ヴィオラいわく、こういうところが義兄あにバカ丸出しらしい。

 生憎、自覚はとうの昔にしていて言い訳もできない。

 キースの脳裏に、数日前の光景が過った。義妹は軽薄男の腕に抱かれて、なんの遠慮もなく感情をぶつけ合っていた。それを見て、そ知らぬふりしてあいさつできるほど、この感情は単純ではない。


「足を、引きずっていたんだ。あいつはもうドラゴンレースなんてできる体じゃない。いつまた転落しても、おかしくないんだ」

「私も幼なじみとして、彼女の身を案じているわ。だけど、あの子の覚悟もわかってる。その思いに対して、私たちは最高のライバルになってあげることが、あの子のためじゃないの?」

「俺は私情に流されて、正常な判断ができてないと言うのか」

「そうよ。ルーメンレースだって引き返すべきじゃなかった」


 彼女は優秀なナビだ。あの時も伝心石の向こうで冷静に、ゴールしてからフィオを追えと叫んでいた。それでも十分間に合ったはずだった。

 しかしゴール手前で止まったフィオを見た時、キースの胸に湧き上がったのは焦りだ。、シャンディとベルフォーレのレースに出る必要はない。

 それはフィオを追う理由をなくすことと同義だった。

 自嘲的な笑みをこぼし、キースは殊勝なふりをする。


「それは悪かった。ナビとしてがんばってくれているヴィオラを落胆させたことはわかる。フィオのことが、つい、放っておけなかったんだ」


 ヴィオラにもフィオにも、悟らせるつもりはない本音を隠すように拳を握る。

 はじめからこの旅はキースのわがままでしかない。フィオにドラゴンレースをやめさせる以上に、欲しいものがあった。

 ロードスターの称号と栄光をこの手に掴み、義妹に捧げることだ。せめて自分が彼女の夢を引き継ぎたいと願った。


「それは兄として、ってことよね」


 ヴィオラは立ち上がり、テーブルを回って歩み寄ってくる。彼女が隣に座ったソファのきしみを聞きながら、キースは「ああ」と返した。

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