160 両親からの手紙①

 庭からトンカチの呼ぶ声がして、ジンはここでお別れだと背を向けた。


「じゃあね、ジン。次はシャンディレースで」

「……下りるんじゃねえぞ、フィオ。俺がお前を負かす時まで」

「そっちこそ、ビビって逃げないでよね」


 不格好にきびすを返して、フィオは洗面所へ向かう。


「ビビるわけ、ねえだろ」


 迷いがにじむかすれたその声は、聞こえないふりをした。




 ジンとトンカチが引き上げてすぐ、キースとヴィオラも宿に戻った。そのことをフィオはリリアーヌ夫人から聞いて知った。

 いつもの小言どころか、キースはあいさつもしていかない。方々から散々説教されたフィオを気遣った、なんてことはないだろう。


「危ないことしても、自分が同行してれば満足するんだ。だったら最初からナビとして監視すれば世話ないでしょ、あほキース」


 声に出してみれば、それは違うかと思い直す。かたわらのナイトテーブルに頬づえをついて、いくらか落ち着いた呼吸をくり返すジョットを見つめた。

 ナビは彼で満足している。いや、彼がいいと思ってしまっている。ジョットはフィオに飛ぶことを望んだ唯一の人だ。

 終わろうとしているフィオに、そうと知りながらつき合ってくれる。きっと彼ならどこまでも、ともにちてくれる。

 そんな思考が過った額を、フィオは拳で叩いた。


「そうじゃないでしょ。彼をこっちに引きずり込んじゃダメ。いくら不思議な繋がりがあっても。いくら妄信的に望まれてても。シャンディ諸島で最後なんだから……深く考えなくていい。どうせ、もう」


 ひな鳥が親を忠実に追いかけるように。魚が水を求めるように。いつだって隣にいたジョットの姿が、にわかに脳裏で瞬く。


「なんで。どうしてあなたは、私なんかを……」


 いっそなにもかもなかったことにしたいと振り上げた手は、無力に髪を掻き乱すことしかできなかった。


「そういえばあの手紙」


 ふと、肉厚な大輪の切手が貼られた手紙を思い出す。あれはシャンディ諸島国の国花こっかだ。

 フィオが約束させた通り、ヒュゼッペ国でジョットは育ての両親に手紙を書いた。スクラップ本に挟まっていた手紙は、その返事だろう。

 席を立ち、フィオはジョットのかばんに手をかける。彼のことを少しでも知りたい思いからだった。

 予想通りの場所に手紙を見つけたところで、ジョットの様子をうかがう。ぐっすり眠っていることを確かめて、窓辺に寄った。


『ジョット。あなたから手紙が届いて、私たちがどんなに安堵したか。あなたがいなくなったこの二ヶ月間、母さんも父さんも生きた心地がしなかったわ。お屋敷だって大騒ぎだったのよ』


 手紙はどうやら義母ペギー・コリンズがしたためたものらしい。しかしフィオは引っかかりを覚えて、首をひねった。


「お屋敷? 宿屋のことじゃないよね」

『でも、手紙を読んでとても納得したの。そうよね。あなた小さい時からずっと、「フィオさんに会いたい」って言いつづけてたものね。そのために家の仕事を手伝って、お小遣い貯めて、ろくに遊びにも行かなかった』

「待って。これだいじょうぶ? めちゃくちゃ恥ずかしいやつじゃない?」


 今さらなことを言いながら、フィオはいったん顔を上げた。無駄に周囲を警戒して、深呼吸で気持ちを落ち着かせる。

 だがもう、たとえ本人が起きてこようと止められないほど、フィオの好奇心は走り出していた。


『母さんたちもあなたの思いを応援しているのよ。お願い、これだけはわかって。リヴァイアンドロス家の使用人になることを勧めたのも、あちらのほうがうんとお給金が出るから。あなたの夢が早く実現すると思ったの』

「リヴァイアンドロス? それって確か、レヴィ島の島主しまぬしの名前じゃ……」


 大小千を超える島から成るシャンディ諸島国で、本島ほんとうと呼ばれる最大の島レヴィ。その地を治める大島主の名に、フィオは汗のにじむ手で便せんを送る。

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