159 ライバルの思い②

 そこへジンの声がかかった。下ろした長髪を気怠げに掻き混ぜながら、階段の踊り場まで上がってくる。


「アニキ、ギョロメはだいじょうぶでしたかあ?」

「ああ。ちょっと首に痛みがあるみたいだが、数日で治るってよ。ただ疲れてるからな。宿までマシュマロで運んでくれ」

「了解。じゃ、準備してきますかね」


 フィオにちらりと不満げな視線を送って、トンカチは階段を下りていく。てっきり彼についていくと思ったジンは、眉間にしわを寄せてにらみ上げてきた。

 これは嫌な予感だ。フィオは桶から水しぶきが立つのも構わず、ひょこひょこと足をかばってあとずざる。するとますますジンの顔は険しくなり、大股で詰め寄ってきた。

 手近な部屋に逃げ込もうとしたところで、強く扉を押さえつけられる。


「お前、その足、そこまで悪化してたのかよ」

「ち、違いますう! レース直後で疲労が出てるだけ。ちょっと休めばピンピンのへっちゃらぴーなんだよ残念でしたあ」

「みくびってんじゃねえ。弱点なんか攻めるかよ。そんなんで勝ってもモテねえだろ」


 ちっ、と舌打ちしたジンの体が沈む。「水こぼすなよ」と言われたかと思いきや、ひざ裏をすくい上げられ、大きく傾いた背中を力強い腕に支えられた。

 水はもれなくフィオの顔にかかったのだが、それどころではない。横抱きにしたまま歩き出したジンの胸板を、フィオは拳で殴った。


「バカ! アホ! ヘンタイ! 下ろして!」

「水替えに行くんだろうが」

「ひとりで行くからいい! 怪我人扱いしないで! それが一番ムカつく!」

「うるせえな。あのクソガキ寝てるんだろ」


 ハタと我に返り、フィオは口を閉じた。慌てて気配を探ると、ジョットは変わらず沈黙している。

 胸をなで下ろしたが、眠りの深さはそれだけジョットの体力低下を表しているようで、心配が募った。


「お前、その足のことで諦めたわけじゃないだろな」


 ゆっくりと階段を下りる歩調に合わせて、つぶやきが落ちる。ジンの意図を掴みかね、フィオは目で問いかけた。


「ゴール直前でやめただろうが、レースを。ロワ・ドロフォノスの暴走を止めるっつったって、さっさとゴールしてからでも遅くなかったんじゃねえのか」

「そうかもね。でもあのレースはちょっと、ズルかったから」

「やっぱりな。防壁ガード蹴って旋回するなんて卑怯ひきょうだと思ってたんだ!」

「あれは立派な戦略ですうっ。思いつかないほうが悪いんですうっ」


 唇をひん曲げて悔しそうな顔をするジンを、けたけた笑ってやる。

 フィオがずるいと思ったのは、旋回した直後のことだ。ランティスの指示かと思ったそれは、ジョットが飛ばしてきた思念だった。

 ナビは任意で、毎回変更してもいい。だが各レースでナビは、ライダーひとりにつきひとりまでだ。そしてその一名は、事前に登録申請のあった者でなければ認められない。

 伝心石を介した通信ではなかったため、第三者には悟られようもないがルール違反だ。それもあってフィオは、棄権扱いも甘んじて受け入れた。

 けれども、この遊び人は違うだろうと思う。


「ジンは? あなたこそゴールしちゃえばよかったじゃん」

「勝負やめたやつに勝ってなにが楽しいんだ。俺のかわいいファンたちは、お前を蹴落とすところを見たがってるんだぞ。応えてやるのが男だろ」

「はいはい。言い方は相変わらずだけど、あなたって案外まじめだよね。勝負より、自分がいい思いしたいだけじゃなかったの?」

「あ? んなのとっくに、お前に負けた時から俺は……」


 言いかけて、ジンは怪訝けげんな顔つきをした。フィオも目をぱちくりとさせ、今の会話の行き着く先を考えてみる。

 が、すぐに顔ごと目を逸らした。


「これ以上は言わないでおくわ」

「ぜひそうして」


 ふたりして、カラが混入していたたまごサラダでも食べたような顔で、階段を下りきった。フィオはようやく地に足が着き、息をつく。

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