157 ジョットの力

 もはや風のマナはロワ種に屈し、己の筋肉だけで抵抗しようと敵うはずもない。

 翼竜科の王は、ただ血のように赤い口腔をさらし、青紫色の舌で獲物を迎え入れるだけでよかった。


『……俺たちを誰と間違えてるのか、知らないけどさ』


 空気がかすかにひりつく。フィオはハッと息を呑み、銃床に掴まるジョットを凝視した。

 風に揺れる前髪の間、ジョットの瞳が見え隠れする。それは海中で見た時と同じ、煌々と金色に輝いていた。

 ジョットの声が静かな怒りに沸き、他の音一切をねじ伏せて響く。


『俺とフィオさんの邪魔しようなんて、千年早いんだよ。これ以上この人を傷つけたら、俺がお前を殺してやる!』

『ジョットくん、落ち着いて……!』


 ロワ・ドロフォノスの声が聞こえたということは、交信できる状態まで鎮まったということだ。しかしそこに油を注いでいくジョットに、フィオは焦る。再び我を忘れられたら、間違いなく全員八つ裂きだ。

 だがふと、あたりに吹いていた風がやんだ。シャルルはよろめきながらも、力を振り絞ってロワ種から離れる。

 そこにキースとランティス、ギョロメも駆けつけた。互いの無事を確かめ合い、不気味なほど沈黙したロワ・ドロフォノスを見やる。


『この力、この気配。お前はまさか……』


 ロワ種の目の変化にフィオは気づいた。黒い瞳孔が丸く太っている。ゆったりとした羽ばたきからも敵意を感じられなくなったが、不可解だ。ロワ・ドロフォノスは明らかに、ジョットの存在に気づいて攻撃をやめた。

 それにこの口ぶり、彼はジョットくんを知っている?


「目標を発見! ただちに攻撃編隊を組み、砲撃準備せよ!」


 その時、威勢のいい号令が響く。振り返るとセノーテから、白と青の団服に身を包んだ竜騎士たちが迫っていた。その数は一分隊を優に超え、一国を攻め落とす連隊を成している。

 隊列の後方に黒い羽織りをかけたグリフォスを認め、フィオは一か八かロワ・ドロフォノスに語りかけた。


『早くここから逃げて! 私たちにこれ以上戦う理由はない! 私たちはただ互いを尊重し、良き友、良き隣人でいたいだけなの!』

『……人間の娘。お前のその心は、いつかお前自身を滅ぼすことになるかもしれないぞ』

『え』

『うっせえバーカ! 羽トカゲ! さっさとどっか行っちまえ!』


 キースに引き上げてもらったジョットが割り込んでくると、ロワ・ドロフォノスはうっとうしそうに身をひるがえした。そして、竜騎士たちの銃が活躍するまもなく、コズモエンデバレーの奥地へ飛び去っていく。

 無駄足を踏んだ竜騎士たちはしかし、安堵したようなため息をついていた。




 セノーテの丘の上、ヒルトップ家の遺跡屋敷で、バカがひとり寝込むことになった。バカの名前はジョット・ウォーレス。ライフルの銃床にぶら下がった衝撃で腹の傷が開き、ついでに熱もぶり返した。

 だから言ったのに。と、怒りたいのはフィオのほうだったが、医者にジョットとまとめてこってり絞られた。解せぬ。

 それでも、うんうん苦しそうにうなされるジョットを見ても、反省はちっとも湧いてこなかった。選んだ選択肢のどれにも後悔はない。

 末期で重症で手遅れなのは、実のところフィオのほうだった。


「しかし、いらないこといっぱい言った気がする。言わなくても心の声ダダ漏れなんだっけ。なんだこれ詰みじゃん、やったね。ははははっ、はあ……。水替えてこよ」


 ついでにタオルも洗おうと、ジョットの額からそっと取る。乱れた前髪を整えながら、安らかとは言いがたい寝顔を眺めた。


「あなたは誰? 私のなに?」


 同じ問いを心で投げかけてみても、答えは返らない。ジョットは眠っている。フィオは苦笑をこぼし、桶を抱えて静かに部屋をあとにした。


「レースはやり直ししないって本当なの?」

「うん。大会運営委員会から正式な発表があったよ。順位に変更はなし。途中、コースから外れたアニキとキースの旦那、フィオの姉御は棄権扱いだって」

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